ゴールデンウィークと、その後。2008/05/07 12:52

エルの幼稚園は、ゴールデンウィークの飛び石の間も休みで、超大型連休でしたが、ずーっと実家にいました。送り迎えをしてくれた父の都合もありますが、その間自宅のほうでも義両親&だんなさんが押し入れなどの大片付けをしたようで、それぞれに有意義な連休でありました。あ、そういえば、実家に戻るのデフォルトは私・エル・ジェイで、だんなさんはその間自宅で仕事をしています。今回は1泊で電車で来て帰りましたが、いつもは女・子どもだけ(笑)

実家には寝たきりの祖母がおりまして、その介護は母がだいたい一人でやっています。車で20分くらいのところに叔母(母の妹)がいて、時々来て家の中や畑のことを手伝ってくれるで助かっているのですが、寝たきりの人の介護って思ったより大変。今は一応自力で柔らかく細かいものは食べられるのですが、なかなか飲み込まなかったり、途中で寝てしまったりして、なかなかごはんが終わらない。朝昼晩と3回、ごはんに30分以上+おむつ替えや身体のケアなどに15分くらい+片付けなどをしたらあっという間に1時間くらい、祖母の部屋にいましたねぇ。さらに訪問看護の人やお風呂のヘルパーさんや医者の往診が来たら立ち合います。買い物は週一回の生協の配達でだいたい済ませているようです。あとは洗濯と掃除と食事の支度をしたら1日があっという間に終わります。昼寝をする間も日によってあったりなかったりで、そう考えると乳児のタイムスケジュールとだいたい同じですね(^-^; しかしいつまで続くとも知れないのは気持ち的にかなりきつい。しかも母も60代だし、30代とは明らかに体力も筋力も違う。

またしても思いましたね、例の

「体力つけとけ」

やばい、これは一生ものだな。

実家で慣れない生活をバタバタしていたら疲れがピークに達し、朝起きると背中がバリバリに凝って痛い。しかもちょっと前から左足のつけ根の股関節のところがなんか変(エルの時もそうだった)。というわけで整形外科&リハビリテーション科というところに行ってきました。筋力が弱くて背骨と首の骨のS字カーブが少なくて、しかも背骨の一番下がつぶれてたぶんヘルニアになっていて、左足の違和感は座骨神経痛だそうな。ひえー。(ちなみに実家の母も全く同じことを言われたらしい。骨格はかなり遺伝するらしいです。)今のところ痛みというほどのものはないですが、筋がおかしいなーと感じたりとか、たまに足がかっくんと膝が抜けたようになったりするのは、そんな立派な原因があったのか!とびっくり。とりあえず、ウォーターベッドと電気のもみほぐしとマッサージを受けてきました。これを解消するためには

腹筋(地味だなー(^-^;)

だそうで、やり方を習ってきました。

仰向けに寝て膝を曲げ、膝と足の間はこぶし1個分開ける。、おへそを上からのぞき込むようなつもりで、伸ばした手の先が膝のてっぺんに触るくらいまで上げる。その時、息を吐きながら上体をゆっくり上げ、3秒維持し、息を吸いながらゆっくり上体を降ろす。維持している間も息を止めないこと。これを1日30回。

やってみると、予想よりよりきついですねぇ。妊娠して以来、1年間も運動してないもんな~。まぁマタニティースイミングには行っていたけれど、元水泳部の私にとっては、ウォーキングのような楽々レベルだったのでした。しかし身体の方はなんとかジムに通っていた頃の感覚をかすかに覚えているようで、疲れたときこそ腹筋くらいやった方が疲れが取れるかもしれんと思えたので、とりあえず自分的にはブラボーにしておきます。今は10回から始めて、15回に増やしたところ。しかし筋トレは始める前に必ずプロの人にきちんと教えてもらった方がいいと思いました。同じ形でも、使う筋肉が違うと、変に疲れる上に効果が薄く、すぐ嫌になって私の場合は絶対に続かないので。ロハス的にも健康の要はsustainabilityであります。気合いとか根性は不要ですが、客観的な現状把握と見通しは要るかも。

昨日寝る前にベッドで足上げをしてみたら、やっぱり左足のほうが明らかに筋力が弱いし、ふらふらすることが判明。寝てるときも、時々触ってみると、左足のほうが冷えているような気がします。 身体の左右のバランスが崩れて風邪(などの不調)になる、というのが、最近読んだ野口晴哉の「整体入門」および「風邪の効用」のポイントでありました。よって、左を重点的に鍛えつつ温めるというのをこれからの目標に決定してみました。

エルとジェイの様子も書きたかったんだけど、また。

人を動かすもの2008/05/08 16:21

祖母の介護を目の当たりにしていろいろと考えさせられたのですが、まだまだ書いておきたいようなことがあるような、ないような。

実家の母は、40代で亡くなった叔父(母の弟)の代わりに祖母の面倒を見ることになったのですが、それまではまったくそのつもりはありませんでした。むしろ、母と祖母はかなり仲が悪かったほうです。面倒を見るために同居し始めた頃は、昔のうらみつらみを思い出して、私にこっそり話しては憤慨していました。祖母が元気なうちはしょっちゅう大声でケンカもしていたし。ホントに大丈夫?と思ったのですが、具合が悪くなってからは、むしろ献身的ともいえるくらいよくやっています。

1ヶ月前に来たときは、祖母はエルやジェイに向かって「いい子だね、いい子だね」と言っていましたが、今回行ったら、上目遣いに小さく目を開けるだけ。じっと見ているので、お客さんだとはわかっているようですが、声は出ませんでした。ごはんを食べさせる時間も長くなり、食事の支度も、細かく刻んだり、フードプロセッサーにかけたり、より手間のかかるものになっていました。けれど母は「おばあちゃん、これが好きだから…」と言いながら、新鮮なお刺身や、家の周りの畑で取れた季節の野菜や果物など、食べ慣れたものを工夫して食べさせていました。

こんど検査入院をするというので、ついでだから1週間くらい病院で面倒見てもらったら?と母に提案してみたのですが、 「こんなに時間がかかると、病院ではごはんを食べさせてくれないと思うのよね…それに、環境が替わるとそれだけでも具合が悪くなるかもしれないし…」 と、かなり心配そうです。自分だって相当大変なはずなのに。結局日帰りで検査だけして帰ってきました。

どうしてなんだろう。

やっぱり血のつながった親子だから?母だから?それが義務だから?もちろんいろいろな気持ちや葛藤があって一つではないと思うけれど。

直感的には、

生命に対する尊敬

のようなものをなんとなく感じました。好きとか嫌いとか、愛情とか義務とか、そういうものではなく、これまで生きてきたこと自体に敬意を払うというような作業。どう生きてきたか、とか、その生き方を支持するかしないか、ということではなくて、これまで生きてきたという、そのものだけ。

死と生は反対のものではなく、生の延長上に死があると、志賀直哉も言ってたし。それを日々肌で感じている、最も近い人、という責任感が、母を支えているのでしょうか。

話は替わります。

今日デパートで、エルを出産したときに友達になった女性に会いました。彼女は店員さん。そこで働いているとは聞いていたけれど、名字に確信が持てない。でもあの横顔は絶対にそう。

母の日用の包みを待っている間に、彼女のことを視界のはじで見ていました。お客さんに商品の説明を丁寧にして、希望の品を持ってきて、てきぱきと働いています。お客さんが「これもこちらで10年前に買った物なのよ、もうすりきれちゃって…」と言われると「大事に使っていただいてありがとうございます」とうれしそうにしていました。

声をかけようかどうか最後まで迷ったけれど、結局、そのまま帰ってきてしまいました。彼女が素敵に働いている姿に勇気をもらって、それでいいんじゃないか、と思ったからです。

あのときは二人とも新米ママだったよね、今はお仕事も充実しているみたいでよかったね、私は二度目の育児を楽しみながらがんばるよー、って心で思うことが、実際に声をかけることより、彼女の姿にふさわしい気がしました。

なんだか、そういう目に見えないエネルギーの流れが世の中を温めてくれるのかもしれない。


まだまだ知りたいことがたくさんあるなぁ。世の中って、どういうしくみで、動いていくんだろう。そんなに悪くないところのような気もします。そう思えた日はちょっと幸せです。

エルの、ようこそクマちゃん記2008/05/11 00:00

エルがどうやってジェイを受け入れていったかを書きためていたのですが、遅ればせながらアップしてみます。二人目育児のメモ&プチ工夫集なり。

エルとジェイはちょうど4歳半違い。赤ちゃん返りも微妙な年齢かなーと予想しておりました。

出産前のようすですが、しょっちゅうお腹に向かって「くまちゃーん!くまちゃーん!」と叫んでいました。産まれてくるのが楽しみな様子。エルがお腹にいた頃や産まれてすぐの頃の話をしてあげました。あと、「ご飯食べさせて~」とか「着替えさせて~」という時はなるべくやってあげて、お風呂も一緒に入り、大きくなったお腹にベビーローションを一緒に塗ったりしました。

入院前には、「お母さん、入院するけれど、病院は近くだから、幼稚園の帰りにお見舞いに来てね」と伝えました。がんばってね、とも言いましたが、だいたいのことは自分でおばあちゃんやお父さんに説明できそうなので、あれこれと細かいことは言わないことにしました。

家族には、エルの生活必需品を(下着をパンツとか靴下とか種類別に)かごに分けて入れて見えるところに並べておき、1日のスケジュール&カレンダーの生活マニュアルを壁に貼り、なるべくいつもとペースが変わらないようにとお願いしました。

入院中は、おばあちゃんとお父さんが優しくしてくれていたおかげか、はたまたおやつ食べ放題生活に満足していたのか、一人でご飯も食べ、着替えもして、よい子だったそうです。

帰ってくると、エルはほんの少しだけ太っていました(疲れてむくんでた?)。

帰宅後は、エルに本を読んであげたり、一緒にお風呂に入ったり、なるべく一緒に静かに過ごすようにしました。エルも甘え再開で、「食べさせて~」がひどかったですが(^-^;まぁ赤ちゃん返りもその程度なら楽かなーとできる範囲でつきあってました。

授乳も、最初は見えない寝室でやっていましたが、少しずつ、エルが落ち着いている時は一緒の部屋でやったりしました。最初は寄ってきて赤ちゃんをかまったり、「○○して~」といろいろ要求してきたり。「今手が離せないから待っててね」と根気よく伝え、その代わり、授乳が終わったら「ジェイちゃん待っててね~」と言ってから、エルの用事を片付けてあげるようにしました。

退院後1週間くらいして、知恵熱?という感じでエルが熱を出しました。疲れたんだろうと思い、ゆっくりベッドで本など読んで、熱いお茶を飲ませてあげたりしたら、翌日には元気になりました。

たまにエルが「エルが産まれたときうれしかった?」と聞くので、「お母さんは、エルが産まれて初めてお母さんになれてとってもうれしかったし、ジェイが産まれて、こんどは二人のお母さんになれて、それもとってもうれしかったよ」と答えました。

2ヶ月後くらいのようすですが、すっかりお姉ちゃんのつもりで、泣いているとそばに行ってあやしてくれたり、だっこしていると何度も「見せて!」とうれしそうにのぞき込むし、とりあえずライバルとは思っていないようです。ただ、私が忙しそうにしていると(ジェイの用事に限らず)、既得権益の維持って感じで、いろいろ要求してきます。その時は、とりあえずは「今は○○しているから、終わるまで待っててね」と繰り返し説明します。そして作業が終わったら、すぐにエルの用事にとりかかることにしています。

自分のためにも、エルのためにも、乳児との生活を大変なものにしないように心がけて、頻繁なお世話をその都度、日常生活にうまく挟み込むことを考えています。3ヶ月を過ぎると、授乳回数も減って、ある程度のスケジュールもできてきました。

3ヶ月を過ぎた頃から、ジェイのことをクマちゃんと呼ばなくなり(かまうと反応が出てきたからじゃないかな?と先輩ママ友より。なるほど)、1時間程度の車での移動中も、あまり文句を言わずに、ジェイをかまったりしていました。

一人で遊んで、ジェイのお世話中を待っていることもあります。そういうときは「とても助かったわ~待っててくれてどうもありがとう!」と伝えます。ジェイちゃんにちょっとおじぎさせて「待っててくれてありがと!」ということも。

時間があるときは、なるべくエルと一緒に、新しい折り紙を覚えたり、工作をしたり、本を読んだり、料理をしたりしています。

「お母さんの一番好きな人は誰?」→「お父さん」

「お父さんとお母さんの一番好きな人は?」→「エルとジェイ」

これだけだとイマイチ不満そうですが、「お父さんとお母さんとエルの好きな人はジェイだよね、そしてジェイが世界で一番好きなのは、エルなんだよ」、と付け加えることにしています。ホントにそうです。エルに対する反応が一番いいのです。

「お母さんはね、去年生まれて初めて母の日のプレゼントをエルからもらったんだよ、今年もどうもありがとう」と伝えました。朝起きたら、一番に、アクアビーズにゴムひもを通したネックレスと、折り鶴と、メモ帳の手紙をくれました(手紙を音読してくれました;エル、おかあさん、エル、ハートとばら)。大きくなったものだ。ちょっとうるうる。

またそのうちに続く、かも。