小春日和 ― 2008/11/13 10:21
昨日はもう冬になっちゃったよ~さぶ~という感じの、どんより低い空にぱらぱら小雨だったのですが、今日はうってかわって、おだやかな秋のぽかぽか陽気。小春日和、ってこういうときだよね。風が生ぬるくて、どこか春っぽい。
お隣で剪定していたからすうりをもらってきました。
枯れ藪の 飾り円やか からすうり
かあかあ。食べられそうですけどねぇ。落ちると後が汚れて片付けが大変なんだよね(^-^;
エルの送り迎えで外に出るたびにネタ探しをするのですが、まぁ往復10分ちょっとの同じ道で、何か違うことと言えば、季節の移り変わりしかないのであります。あとは、猫の配置とか。分別されたごみの内容とか。
若い頃は季節の移り変わりなんて別になくても全然気にならないような24時間365日コンビニエンスな生活を送っておりましたが、今はどうしてこんなに探してしまうのだろう。
自然を楽しむようになったのは30代から、いや、育児を始めてからかもなぁ。それ以前は、自然をどう解体して解釈してよいものやら見当もつかず、まるごとうわーっとなるのを横目で眺めていたような感じ。それはそれで楽しかったけど。
育児を始めて、結局生きるってことは、食う寝る出すの連続じゃないか、という、人間の最も深いどうしようもなさに寄り添いつつ暮らすようになって、あぁ解釈とか理解じゃなくて、自分の生活の地に図に自然があるんだということが腑に落ちたのであります。八百万の神?
そう考えてみれば、みな同じ。みんな違ってみんないい、どころか、みんな同じでみんないい。金子みすゞサンも長生きしていればこんな風に思える瞬間が訪れたのかもしれない(…どうかな?)。
そうやっていったん世界を引き受けてから、改めて、世界の新しい解釈を提出することが、裾野を広げるという作業かもしれない。新しい解釈。ほお。またキーワードが飛び出してきたな。そういう意味で、更新キャンペーンはイメージしりとりであります。
闘病や介護を詠んだ歌に、はっとさせられるものが多い。それはきっと、人間のどうしようもなさと不可分に寄り添っているから。同情や共感を越えて、新しい世界を共に見い出せる歌にこそ、力が宿る。制約をうまく利用すれば発展となる。育児も、文字数も。
そんなことをつらつら考えながら、すやすや寝ている子どもをおんぶして、木の葉の陰が揺れる日だまりで、洗濯物を干す幸せ。これを幸せと呼ばずして、なんと呼ぼうか。
ターシャ・テューダーさんの言葉。
「家事は大好きです。・・・アンケートで職業を聞かれた時は、 いつも“主婦”と書きます。主婦はりっぱな職業よ。なにを恥じることがあるでしょう。 主婦だから学問ができないなんてことはないわ。 ジャムを煮ながらシェークスピアを読むことだってできます。」
ほんと、キッチンで読書するのって楽しいですよ♪行間においしい匂いがしみこんで。何とも言えない隠し味。
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