豆談義、禅少々もふりかけつつ、続く。2009/02/27 16:29

前の記事は、「豆を煮る」というタイトルをつけたはずなのに、豆の煮方あれこれ&豆礼賛で終わってしまいました(^-^; ただいま電圧低下中につき、まぁそういう寄り道もいいんじゃないか~とゆるーくいくことに決めました。しかしちょっと反省して(というのは冗談でふと思い出しただけであります)、紫花豆を現在ひたし中です。グラニュー糖で少~しだけ甘くして、箸休め&おやつ代わりに食べようかと。味とやわらかさのイメージは頭の中で相当できています、が、これを実現するのがむずかしいというのが、豆を煮るということの本質なんだな。いや、これはもう生きるということの本質なのかもしれない(眉唾ですよ;苦笑)

「豆の煮えたもご存じない」という言葉があったように記憶していますが、以前は「そりゃーそんなのわかんないよー」くらいにしか思わなかったです、正直。何度も何度も失敗を重ねて、豆を煮るコツが少しずつ分かってくると、その言葉の中には「豆にはその豆なりの成り立ちや、真っ当な調理方法がある。それを感じ取り、また思いを馳せるということを知らない」というような、いってみれば「豆に寄り添い、豆の気持ちを体現する」と書けばなんとも禅チックな世界があるような気がします。なるほど、豆の中には宇宙があります。根が出て芽が出て花が咲き、たくさんの次の豆をならせるほどの。これって一即多?…いや、こういう分析およびアニミズムは禅ではないのでしたね(笑)

鍋を火にかけながら、いつもより少しだけゆっくり、流しの片付けをしたり掃除をしたりしていると、いつしか甘い香りが鍋から立ち上がってくる…という静かであたたかい空間が好きです。キッチンの奥で踏み台に腰掛けながら、こっそり禅についての古い本を読むなんて、なんとも個人的でささやかな、愉しみ。忙しい中には、忙しいなりの、小さな拾いもの。今という時間は今しかないからこその。