円型を使った貼り絵(6才の工作あそび)2009/10/09 22:28

円で貼り絵。

ずっと前に、自分が気に入って買ってあった洋書のペーパーバック絵本

Ed Emberley's Picture Pie

をひっぱり出してきて、エルと一緒に貼り絵をしました。

この本のすばらしいところは、円型・半円・4分の1・8分の1、のたった4種類(!)のパーツで、非常にたくさんの貼り絵(模様やら動植物やら、いろいろ)が作れます。[エド・エンバリーの見本が、美しくかわいくカラフルでキュート!思わず「これも、これも、みんな作りた~い♪」という気持ちが次々に湧いてきます。こういう単純パーツ組み立て作業は、キルト好きな人なんかにもたまらないかも。

円型のシールを買ってきてパーツを作っておいてもいいと思うのですが、エルは母(って私(^-^;)に似たのか、地味な内職系(笑)が案外好きなので、ペットボトルのふたと鉛筆とハサミを与え、「こうやって円を描いて切り抜くのよー」とやって見せたら、パーツ作りから自分でやってました。のりも、アナログなびんに入ったでんぷんのりを使って、指でぺたぺたと。まっさらの紙から円や扇形を作り出し、きちんと並べていくとあらステキ、というのはなかなか気持ちのよいものです。個人的には、こういう手作り感あふれる作業の中にこそ、円の本質が隠れているんじゃないかと思うなり(ペットボトルのふたをしっかり押さえて鉛筆でなぞるとか、紙をゆっくり同じ早さで回しながら切るとかね)。

エルがだいたいの場所にパーツを置き、私が微調整をしたら、なかなかの仕上がりになりました。一人で全部やらせてもよかったのですが、できあがった作品が自分の実力以上じゃん!?って感じになるのも、まぁいいんじゃないかなぁと(いつもはほったらかしなので、たまにはねー、プチなヨイショ)。

実はこの本の続編に 「picture pie two」というのもありまして、そちらは偶然数ヶ月前に、だんなさんがエルに買ってきました。私が自分の本棚から「picture pie」を出してきて見せたら驚いてました…っていうか私も驚いたよ(笑)

「two」のほうは、パーツが増えていますが、便利な型紙やステンシルがついています。3種類の大きさの円&扇形の他に、三角形や四角形などがあります。確かに表現力は各段にアップしていますが、「picture pie」にあった「ひとつの円からここまでできるの!?」というような、びっくりするおもしろさはいくぶん薄いです。よって、幼児向きには「picture pie」がオススメかも。

あ、あと折り紙のオススメなんですが、コストコで買った、一辺16センチの正方形・各種カラー・上質紙(ってすごい定義だな、つまり、折り紙)はサイコーにイケてます。裏返しても同じ色だし、…安い!ただし、1ロットがものすごい分量なので、数人で分けたほうがいいです(^-^; わが家ではこの紙を、イケアの紙ナプキン立てにはさんで立てて、好きな色がすぐに使えるようにセットされています。あまりの便利さに、私のメモ帳になることも(笑)


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認知負荷を軽くする、ということ。2009/10/10 15:10

リズム九九の記事にちらっと書いたのですが、「認知負荷を軽くする」ことが学びでは重要、というのは、実は私の中ではかなりコアなアイディアなのです。端的に言えば、「物事からその本質を抜き出す」ということになるでしょうか。

エルは不安感が強く、いろんなものに拒否反応を示す乳幼児でした(今はごくフツーの幼稚園年長さん)。1才までベビーカーは絶対拒否&おんぶで昼寝しても、床に降ろすと泣く。2才まではしばしばおんぶ、3才までは公園に他の子どもがいると私から離れない、典型的なママべったりのお子ちゃまでした。

私が(半ばあきらめつつ)思ったことは、

「まぁ…とことんまでつきあおうじゃないか!」

ということ。不安の反面、物事を見抜く目はなかなか鋭かったので、とにかく不安を取り除いて安心さえさせれば、この子はあとは一人で学んでいくに違いないという確信がありました。

というわけで、早期教育系および習い事は全て不可能(笑)エルの場合に限って言えば、これがかえって幸いしたのではないかと、今ではなんとなく思います。

具体的に工夫したことは、

・まずは、食事。できる限りまともなものを食べさせる。

→凝ったものや高級な物ではなく、ゆでたての野菜とか、焼きたての新鮮な魚とか、なるべくそのままの味を。「だしをとる」「豆を煮る」というのも、私の密かなライフワーク。

・着心地がよく、手入れが楽で、汚しても惜しくないものを着せる。

→コンビミニや、プチバトーや、クオーレ・アモーレなどの、綿100%ニット類を愛用。基本はTシャツにスパッツ。上に着るものより、肌に直接触れる、下着にお金をかけていたかもしれない。私自身もほぼ同じ主義のワードローブだったりします。

・よく知っていて、予想ができる環境を整えてあげる。

物の位置を変えないとか、お風呂などの手順の順番を変えない、など。生活ペースもなるべく乱さないように、遅くなるお出かけなどはなるべく控えていました。外出も、同じ公園に何度も通いました。

→生活の流れが「背景」となって、意識しなくてすむような、リラックスした状況下で、もっともよく吸収できると思ったからです。

・初めて触れるものは、慣れるまでは、何も言わずにあれこれ試させる。

たとえば、スプーンを使わせようと思ったら、最初の日は、目の届くところで好きに持たせる。2日目は、私が使う様子をよーく見せる。3日目になって初めて、折を見て、そーっと右手で正しく持たせる、というような感じ。しばらくの間は、目の届く範囲で使わせ、私のやり方を見せるが、正しい使い方は強制しない。ストロー、はさみ、はし、鉛筆なども、こんな感じでした。

→周囲の大人は「見かけが正しく」使えているかを気にしますが、まずは、本人が新しい環境に対して、どのように働きかけるかを観察することが何より大切だと思ったからです。もし、不適切な行動を引き出すような道具であれば、その点を改善した道具に替える、など。最もシンプルな物がよい効果をあげることが多いです。道具が適切な物であれば、その物が持つ可能性を十分に試した後は、スムーズに「最も便利な(=正しい)」使い方をするようになります。道具と子どもの潜在的な力を信じることは、モンテにも通じる点があるかもしれない。道具は身体性の延長である、ということについてはまた後日。

・絵本は、同じ本をくり返すか、同じキャラクターが出てくる物を選ぶ。

エルは寝る前に必ず、同じ本を繰り返し読んでもらいたがる子でした。図書館通いはせず、私がこれぞと思う絵本を各種購入(読むのは私だからね~)。もし本人が気に入らなければ読まない。エルが指定すれば、2週間でもそれ以上でも同じ本を読み続ける。「おひさま」という読み聞かせ雑誌を毎月始めに、エルに500円玉を持たせて買いに行きました。キャラクターは同じでも、季節感がタイムリーに変わっていくのでオススメ。DVDやテレビ番組も、なるべく同じ感じの物にしていました(デイズニーやピクサーの長編ものは常に拒否されていました(^-^; ので、アンパンマンか、NHK教育の子ども時間帯)。

もう少し大きくなってからは、

・新しい環境には、あらかじめ、予想や見通しとなるような情報を与える。

→なんとなく自分にもできそうだ、と感じるような見通しやイメージは、ムダな不安を抑え、なにかと役に立ちます。

・事物を位置づけるときには、まず3つくらいのカテゴリーに分ける。

→そして、エルが出してきた例を、そのカテゴリーにどんどん当てはめていく。当てはまらない場合は、どうして例外となるのかについての説明をする。カテゴライズの視点そのものが、事物の基本的性質を反映しているから。

・手作りするところを見せる、また、一緒に生活の役に立つものを作る。

→手作りするという作業の中に、その物の本質や、人間の知恵が隠れているはず。

・時には、私自身がもつ、正直な評価を含むコメントを伝える。

→いろいろな考え方の人がいるという、社会の入り口。

などです。なんだか散漫な箇条書きですが、まぁときどきこんなことを思い出しながら(よく忘れてるんですが(^-^;)、子どもへの働きかけを考えます。余裕がないときはテキトーに、その時なりに、です。親だって、人間だもの(笑)案外、危機管理みたいなところを子どもはよーく見ていたりするんですけどね。コワっ(^-^;

さてさて、ジェイなんですが、全然別のタイプ。明るくて身体をよく動かし、宇宙語でいっぱいしゃべります。始終ゴキゲンで、小さいときから託児もわりとOK。同居の祖父母にとっても「わかりやすい」子どもみたいです。

エルが世の中を開拓したとすれば、ジェイはその恩恵にあずかりつつ被害も被るという感じ(笑)事物の命名などはエルよりずっと早いです。子どもは子どもから最も多くを学びますね。久保田さんのいう「ミラーニューロン」はこんな感じなのかなぁと観察しています。

しかし、扱いやすいからと言って、そのまますんなりと(エルを含めた)大人の世界に入れてしまわないようにしよう、と感じます。見聞きしてまねて盗むという効率性(また、最初から「正しく」教える効率性)は、新しい機能や本質を「自分で発見」する経験と、トレードオフなのかもしれないからです。「本物を、自分で、直接経験する」ことを、エルよりさらに、よく考えなければいけないなぁと思っています。

親の仕事って、無限にあるんですねぇ(笑)でも、自分が本当に納得できるものを選択し、できる範囲でやれば、それが一番いいんじゃないかという気がします(^ー^) 長期戦こそ、ぼちぼちと~。


↓リンクは正しかったようです。イマイチwiki記法を使いこなしていない(^-^; 現在ランキング40位あたりをうろうろしてます。こういうしかけもおもしろいですね!

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エピソード記憶と意味記憶(6才の数概念)2009/10/11 21:55

今日は、エルとジェイを連れてフリマに出店してきました。売り上げは…うーんイマイチ(^-^;でしたが、とてもおもしろい現象を観察しました。

エルが、同級生のお友達と一緒に、買い物をしてきました。 おこづかいは、それぞれ、100円玉1枚。 二人とも、透明でキラキラのアクリル小物のつかみ取り1回と、ピン留め1つを買って帰ってきました。

エルのお友達いわく、

「つかみ取りをやったあと、ピン留めを買った」

そうです。

で、帰ってきてからエルに

「つかみ取りはいくらだった?」とたずねると、

「100円」と答えます。

「え?じゃ、ピン留めは?」

「50円」

「ん?おこづかいは100円だったよね?」

「うん」

「それだと合わせて150円にならない?」

「…うん?」

「つかみ取りとピン留めは同じお店だったの?」

「…忘れた」

その場にいなかったので、詳しいことはわかりませんが、いろいろと聞いてみても、どうやらエルは、つかみ取りは100円、ピン留めは50円、と思っているようです。

想像するに、

「つかみ取りをするのに100円玉を渡した」

「ピン留めは1個50円で売っていた」

という二つの別々な記憶があるのではないかと思われます。

ところで、記憶には、言語化しやすいものと、そうでないもの(たとえば、車の運転やピアノの演奏など)があります。言語化しやすい方の記憶を、宣言的記憶と呼びます。

宣言的記憶の中には、エピソード記憶と意味記憶があります。

前者の「つかみ取りをするのに100円玉を渡した」というのは、(1回限りの)エピソード記憶であり、後者の「ピン留めは1個50円」というのは、(いつでもあてはまる)意味記憶であるといえそうです。

だとすると、これらの別の種類の記憶の間をやりとりして、矛盾のないように調整するのは、6歳児にはかなり難しい作業なのではないか?と、今日の現象を観察していて思いました。

この異なる種類の記憶間のやりとりの難しさは、素朴な計算手続きの壁の話へとつながるのですが、それはまた後日。


↓数理解の初期の観察はまだまだ続きます♪

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