『祖国とは国語』(本レビュー)2009/12/08 12:39

さてさて、『祖国とは国語』のほうでありますが、読みましたよ。再読しながら3色方式で線をひいたところ、

各章でほぼ均等に赤と青の線が散らばる

という、なんとも見事かつ美しい構成となっておりました。

念のため書いておくと、著者の藤原正彦氏は、大御所の数学者。文章もよくし、新聞連載のエッセイにも定評があります。海外における研究生活の経験も豊富で、『国家の品格』などは記憶に新しいところです。また彼は、20年来ずっと、「国語」教育の重要性を訴え続けてきた人物でもあります。数学者なのに…国語?という組み合わせに、以前より興味はありましたが、実は著書を手に取ったのは初めてです(^-^;

さて、当レビューの中心はこの本の冒頭に収められている「国語教育絶対論」(すごいタイトルだ)という文章なんですが、まずムダな展開がない。端的かつ論理的な筋道は、まさに数学的とも呼べる美しさを呈しております。

線を引いた箇所から選んで抜き書きしてみます。

(一)日本再生の急所

・国家的危機の本質は誤った教育にある(p.13)

・小学校における国語こそが(教育改善の)本質中の本質(p.15)

(二)国語はすべての知的活動の基礎である

・(重大なのは)国語が思考そのものと深く関わっていることである。言語は思考した結果を表現する道具にとどまらない。言語を用いて思考するという面がある。(p.15)

・様々な語彙で思考や情緒をいったん整理し、そこから再び思考や情緒を進めている(p.16)

・言語と思考の関係は、実は学問の世界でも同様である。(中略)数学でも、思考はイメージと言語の間の振り子運動と言ってよい。(p.16)

・読書は教養の土台だが、教養は大局観の土台である。(p.17)

(三)国語は論理的思考を育てる

・数学を学んでも「論理」が育たないのは、数学の論理が現実世界の論理と甚だしく違うからである。数学における論理は真(正当性100パーセント)か、偽(正当性0パーセント)の二つしかない。真白か真黒かの世界である。現実世界には、絶対的な真も絶対的な偽も存在しない。すべては灰色である。p.19-20)

・現実世界の「論理」とは、普遍性のない前提から出発し、灰色の道をたどる、というきわめて頼りないものである。そこでは思考の正当性より説得力のある表現が重要である。(p.20)

・これは国語を通して学ぶのがよい。物事を主張させることである。(p.20)

(四)国語は情緒を培(つちか)う

・現実世界の「論理」は、数学と違い頼りないものであることを述べた。出発点となる前提は普遍性のないものだけに、妥当なものを選ばなければならない。この出発点の選択は通常、情緒による。(p.21)

・また、進まざるをえない灰色の道が、白と黒のどのあたりに位置するか、の判断も情緒による。論理は十全な情緒があってはじめて有効となる。これの欠けた「論理」は、我々がしばしば目にする、単なる自己正当化に過ぎない。(p.21)

・高次の情緒とは何か。それは生得的にある情緒ではなく、教育により育まれ磨かれる情緒と言ってもよい。(p.22)

→高次の情緒の例としては、他人の悲しみを悲しむ、他人の不幸に対する感受性、なつかしさ、「もののあわれ」、美しいもの(自然・芸術だけでなく、詩歌、漢詩、自然を謳歌した文学など)を愛でそれに感動する、武士道精神に由来するかたちや情緒、家族愛・郷土愛・祖国愛・人類愛、などが挙げられています。

・脳の九割を利害得失で占められるのは止むを得ないとして、残りの一割の内容で(人間としての)スケールが決まる。(中略)ここを美しい情緒で埋めるのである。(p.26)

・これら情緒は我が国の有する普遍的価値でもある。普遍的価値を創出した国だけが、世界から尊敬される。(p.27)

(五)祖国とは国語である

・祖国とは国語であるのは、国語の中に祖国を祖国たらしめる文化、伝統、情緒などの大部分が包含されているからである。(p.30)

・英語では、自国の国益ばかりを追求する主義はナショナリズムといい、ここでいう祖国愛、パトリオティズムと峻別(しゅんべつ)されている。ナショナリズムは邪であり祖国愛は善である。(p.31)

・国際社会では、日本人としてのルーツをしっかり備えている日本人が、もっとも輝き、歓迎されるのである。(p.32)

(六)これからの国語

・国語を情報伝達の道具としてしか考えない人が余りに多い(p.33)

・小学校における教科間の重要度は、一に国語、二に国語、三、四がなくて五に算数、あとは十以下なのである。(p.34)

・国語力低下は、(二)で述べた知的活動能力の低下、(三)で述べた論理的思考力の低下、(四)で述べた情緒の低下、(五)で述べた祖国愛の低下を同時に引き起こしている。(中略)この四つの低下は確実に国を滅ぼす。(p.34)

・国語の中心はあくまでも「読み」にある。この力をつけ、充分な量の読書さえしていれば、聞いたり話したりは自然にできるようになる。(p.35)

・文語は、破格の韻律感と芸術性を秘めた、朗唱に耐える言語と言える。(p.41)

・通常、読める漢字は書ける漢字の数倍はある。それでよい。とりわけ情報機器の発達した今日、書ける漢字よりより読める漢字を大量に増やすことが必要となっている。(p.42)

・元来、子どもはわからない言葉に囲まれて生きている。単語の意味がわからなくても、文脈で推測できる。正確で深い意味は後になってわかればよい。(p.43)

・(国語の重要性を語ってきたのは)国語こそが日本人の主軸であり、また日本人としてのアイデンティティーをささえるものだからである。(中略)(国家の苦難克服の第一歩は)小学校における国語教育の量的拡大と質的改善しかない(p.44)

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ざっと抜き書きは以上です。これは文庫本にして30ページちょっとの、まさに、現代の激論であります。筋が通っている。しかも、ハラが据わっている。これを読んでいて、もしかして数学とは、文化として最高レベルの結晶なのではないか?とさえ思いました。これだけの広がりを見はらしつつ、ここまで(!)言える人は他にいない。

まともな教材を使ってきっちり読書術を教える。確かにこれは一生役に立つ技となることは間違いありません。いろんな思想や体験にじっくりと触れ、人間としてのキャパを広げる。自らの立ち位置を知り、地に足のついた大局観を持つ。こういうシステムが世の中で普通のものとして存在したら、ずいぶんたくさんのことが解決されることでしょう!

知識とか教養とかいう微妙なベールを取り払い、生活必需品のように、必須栄養素のように、フツーに読書し生活する。そのための、国語かもしれません。今ここで生きている私をささえているのは、たぶん、国語。確かに、今こうやって書いているブログは、まぎれもなく国語ですね(笑)


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