身体と数、いろいろ。(6才の数概念) ― 2009/12/20 22:57
や・や・やっと、PC環境がまあまあになりました。マイPCが壊れ(ハードディスクからいやな音が(^-^;;)、借り物PCも電源コードが壊れるわ、年賀状作成ソフトを入れようとしてもDVDドライブが認識しないわ。不調は続くよどこまでも。ま、こういうときはあせらずぼちぼちいきまーす。
で、その間の数に関するエピソードです。いつもにも増して走り書きです。すみません(^-^;
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♪数字の1はな~に?工場のえんとつ♪という歌詞の、「すうじの歌」があるのですが、これをお風呂で聞こうと思って、お風呂用防水CDプレイヤーに入れてスイッチを入れたら、なんと、電池切れ(^-^; 仕方なくエルと二人で、「オリジナル数字の歌」を作りました。
「♪数字の1はな~に?…(近所の)神社にあった棒っ切れ♪(たまたま前日行ったら、伐採したばかりの枝を短く切った棒がたくさん置いてあったので、それで散々遊んだ)」
「♪数字の2はな~に?…ひっくり返した、ひらがなの『て』♪」
などなど、エルと私にしかわからないような奇妙キテレツな歌が次々にできていったのですが、エルに考えさせると、数字の形から「物」を連想するというよりは、「自分の身体」で数字を作っていました。
5(前へならえをして、おなかをふくらませて、横を向く)や、7(前へならえをして、背筋をそらし、手首を下に曲げるところが大事なんだそうです)を作ったあと、最後の10は、私も手伝わされました。
「エルが1で、お母さんは0のほうね。はい!」
「こう?(手を上にあげて○を作る)」
「もっとちゃんとなって!」
「…(^-^;(背筋を伸ばして、ちょっと縦長できれいな○を作る)こう?」
「そうそう!」
ちゃんとなって、とは、思わず笑っちゃいましたよ。つまり本人は、なりきっているわけですね。数字にさえなりきれるという、その身体ベースの想像力は、今後ものすごく役に立つんじゃないかと思いました。
目で見た形を身体で表現するためには、イメージの本質を抜き出して、変換することが必要になります。この、本質を抜き出す作業というのは(もちろん情報の種類にもよりますが)、記憶や理解というよりは、むしろ、感覚や直感に支えられえている部分が想像より大きいのかもしれないですね。
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『まり先生とふたりのぼうけん』(現在絶版、惜しい!)という絵本を図書館でみつけました。これはまんま「わかるさんすう1」と同じ手法で、それがストーリー仕立てになっています。早速借りてきて、巻末の切り離し式のタイルは手作りし、エルと一緒に本を眺めました。本の中にはタイルを置く場所もあり、それを見つけたエルはうれしそうにいそいそとタイルを並べていました。そして、読み終わってからポツリと、「(タイルを)並べると、なんか違うね」と感想を言いました。
目で読むだけではなく、手を使って何かを操作するということは、子どもにとってかなり違う種類の情報なのだと、改めて感じました。
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エルも友達の影響で、たまーにDSをやるのですが、ソフトが2本しかなく、冬休み対策として「やわらかあたま塾」を買ってありました。お受験問題の基礎を使った、脳トレ系ソフトです。たまたま忙しい日に出してみたら、これがヒット。
積み木の数を数える問題で、私が何度もだまされた(笑)ものを、レゴ・デュプロで作り、エルに「ねぇ、ママはこれでいつも間違えるんだけど、これを早く数えるにはどうすればいいと思う?」とエルに聞いてみました。
この問題を文章で説明すると、「底面は3×3、高さが4つの柱が3本、3つの柱が1本、2つの柱が2本、1つが3個」とでも言いましょうか(わかりにくくてすみません(^-^;)。私はこの文章のように、4個×3、3個×1、2個×2、3、という順に数え、12+3+4+3で22個、とまぁ、ゆっくり考えればできるんですがね…。
エルはこう言いました。
「10のまとまりをつくるといいよ。」
そして、端っこからばらばらに取り、いちいち数えて、10個ずつのまとまりを作っていきました。確かに、22個、正解。
そこで、私が「なるほど、10をつくるといいよね。ママはこう考えたんだけど」と、上のような解き方を、ブロックの柱を抜いてグループ分けしながら、説明しました。
するとエルは「ちょっと待って、じゃぁ、こうすれば?」
といって、まず4つの柱を2本抜き、数えてから、2つの柱を1本抜きました。これで10。
次に、4つの柱を1本(これで4つの柱はおしまい)、3つの柱を1本抜き、数えてから、2つの柱を抜き、また数えてから、1個をとりました。これでまた10。
残りは2個。つまり、22個。
「こうすればいいんじゃない?」
だんなさんに考え方を聞いたところ、やはり私と同じやり方でした。もちろんいろんな方法があると思いますが、エルはかけ算九九を知らないので、同じ数の柱をグループ分けするメリットはないと思われます。今の彼女にとって切実なのは、5や10のまとまりです。それをうまく使いながら、しかも、私の提示した「柱ごと扱う」利点も取り入れて、再度説明してくれたことに、ちょっと驚きました。
よい問題は、答えが出たらそれでおしまい!にはしたくないなーといつも思うのですが、今回は、「ゲームの問題」「速く解くため」「ママが間違えた」「一見難しい問題」というような文脈が、解法に焦点を当てて考え続けることを助けてくれたのかもしれません。
また、大人のやり方をそのまま教えて真似させるだけではだめで、まずは子ども自身の考え方の道筋を押さえておかないといけないなぁとも感じました。
解法を教えることと見つけることに関して、ちょっと考えたことがあります。中学受験お得意の○○算(例えば、流水算や時計算など)は方程式を習えば解けるようになるのに、どうしてわざわざ小学生がやるの?という疑問があります。私もその辺は正直なんともいえないなぁと思っていたのですが、今回のことから考えると、小学生の段階では、問題の持つ性質に十分に触れておくこと自体が大切なのであって、解法を覚えて当てはめるのは、本人がその時期を決めるべきものなのかもしれない。本来は、自分のやり方で、好きなだけ、その状況を探索することが目的なのではないか?というアイディアが浮かびました。そしてこのような試行錯誤をゆっくりとできるのは、家庭学習ならではの強みかもしれない、と。
こんな感じの、落穂拾いは、まだまだ続く予定。
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