英語音素の話。2010/10/21 11:11

プル・イカを時間をかけて読んでいるせいか、いろんなことでプル・イカ的な側面が気になります。

で、エル1年生の話なんですが、彼女は年中の頃から英語教室に通っています。ちょうどジェイが生まれたばかりで、週2で幼稚園終了後にそのまま居残れる習い事を入れたかったので始めたのですが、それがまだ続いていて(近所の幼稚園のよさですね)、今は3年目です。ここはフォニックスと、ネイティブとの遊びや会話が半々ずつで、現在は3文字の単語を読んでいるところ。

先日、小学校で英語の授業があったらしく、「今日ね、○○先生(英語ネイティブの講師)が、Brown bear, Brown bear, What do you see ? って本読んでくれたよ。ウチにあるよね~英語じゃないけど、絵が同じだから!」と言ったときには、正直驚きました。正確な意味を抜きにして、まるごとの発音&リズムのまま記憶できるものかと。

フォニックスを習っても、会話もあいさつもできないし、日常生活における、英語習ってまーす♪的な雰囲気は皆無。しかしむしろそれがいいのかもなー、日本語と意味が干渉してもしょうがないし、とテキトーにほっといたら、音素レベルの聞き分けが(ある条件下においては)できるようになっていたようです。そりゃそうだ、2年半だもんな!この期間と達成レベルをどう判断するかが、英語を習わせる/習わせないの選択の本質だと思う。

で、プル・イカ。英語の読字障害では、音素に分けて聞き取ることが難しい場合が多い、というのを読んで、そうか、無条件に音が入力される(つまり、日本語レベルでも未熟)な時に、音素レベルの回路を作っておくというのもひとつの方法かもしれない、と、後付けで納得したのでした。もちろん綴りと音が一致しないことが多いので、そのへんは後回しということで。そういえば、文法というのは、そもそもは例外の積み重ねなんだそうです。

とかいうと、小さい頃から英語のDVDを見せましょう♪みたいな流れに持って行きたいのが資本主義なんですが、個人的には、記録され固定化された音を繰り返し聞くよりは、状況の中で生きた音を聴く方を推奨したい。それは英語/日本語にかかわらず。

子どもは同じ刺激に対しては、早く「慣れ」、「飽き」ます。その安定感がほしくて同じDVDを見たがるのかもしれないけれど、そこにあるのは「学び」というよりは「刷り込み」に近い。もちろん刷り込みが悪いという意味ではなく、刷り込むべき大切な内容というものもたくさんあります。

両入力経路の違いは、ライブな学びにはたくさんの偶有的な枝葉があるけれど(その分余分な雑音も多い)、刷り込みにはそれに比べたら少ししかない(「正しい」枝葉はきちんと備わっている)。ただ、子どもが手持ちの回路をフル回転させるのは、学びのほう。

だから、絵本の「読み聞かせ」の臨場感やライブ感が大事になるんだと思う。どんなに上手な朗読のCDよりも、お母さんとの相互作用を楽しむ方がずっと楽しいし、リラックスすれば五感や情緒も全開モードに。

ふたたび、プル・イカ。本は、固定した内容の文字の列です。そこから「意味」や「理解」や「楽しさ」を引き出すまでには、うんざりするほど長い練習が必要。その努力を支えるのが、楽しかった読み聞かせ体験(に始まる、親や教師の支援)なんだそうです。

本だって、同じ本を読んだ人たちと、感想を交換し合うのは無上の喜びですね♪読み聞かせに始まった相互作用は、どこまでも続く。…確かに読み聞かせって面倒だけど、もうしばらくは続けまーす。推奨は9歳までだそうですよ。長い!

ちなみに、エルは最近「新巻鮭(あらまきじゃけ)」を「え?腹巻きジャケット?!」と聞こえたと笑い転げるような子どもになりました。つまり、語彙からトップダウンに音を聴いているということ。ということは、フォニックス効果逓減期に入ったのかもしれない。その代わり、単語の意味レベルで、日本語と英語を対応させることはできそう。第二言語へのアプローチも、発達を考えると、より効果的な方法を選べるのかもしれませんね。

コメント

_ yoshiko ― 2010/10/21 12:20

フォニックス効果って、うちのケースだとすでに2歳半で時遅しだった。自分でなぜかフォニックスの本を嗜好して読んでくれとしつこいので教えてあげたり、しまじろうの英語DVDを見たいというので買い与えてみせたりした上でだけど、2歳くらいで音の聞き取りと音声再現機能はかなり制限されてきているようで、自分で言うのもなんだけど、ほぼネイティブの私が教えたのに結果は完璧には程遠く、音によってはどんどんジャパニーズ・イングリッシュ化の一途をたどってます。泣ける。

_ いづみ ― 2010/10/21 17:29

>yoshikoさん

うーむ、まとまったアウトプットを引き出すにはちょっと早かったのかもしれないね。

一般的な2歳半というと、確かに母国語の聴覚記憶の天才時期。現在~ちょっと前くらいのジェイかなぁ。こないだばあばから来た手紙を数回読んだら丸暗記して音読してた。(といっても2文くらい)。もちろんひらがな解読率はゼロで、完全に九官鳥状態。ちなみに別の手紙も全く同じ文章で音読してました。

ただその頃の彼らの動機付けは、自分の周りの世界の把握とか、意思伝達→成功→全能感!みたいなところにあるので、直接役に立たないものは、どんどん捨てられちゃうかもしれない。

あと、子どもは一つのものに複数の名称があることを嫌がります。私が義母のことを「おかあさん」って呼ぶと気になるらしくてしょっちゅう「おばあちゃんだよ!」って訂正される。名前と物が1対1で対応していないと、世界の把握に水をさされるようです。…もしかしてだんなさんがジャパニーズ・イングリッシュで答えてる?(笑)

日本語&世界の把握が落ち着いたら、(そうですねぇ、4歳くらいかな?)もう一度トライしてみたらどうでしょう?

家族が普通に英語を使っていると、教材以前に、それが最も理想的な環境だよー(^ー^) 英語=価値がある、みたいな第一印象は強い!

_ 抹茶母 ― 2010/10/22 12:26

九官鳥状態ってすごいよね。
聴覚を最大限に利用しているってことだもの。

今思えば、抹茶にはこの”九官鳥状態”がなかったなぁ。
歌でぎりぎりなんとか…という状態だった。

_ いづみ ― 2010/10/23 14:31

>抹茶母さん

いろんな入出力経路があるというのは幸いなことです。個性って出力だけが目につくけど、入力の段階ですでに、人間みな個性的なんだよね。あなたにとっての世界と、私にとっての世界はかなり違うという、日常の中の不思議。

_ コマンタ ― 2010/10/24 02:05

>私が義母のことを「おかあさん」って呼ぶと気になるらしくてしょっちゅう「おばあちゃんだよ!」って訂正される。

訂正するのはジェイさんでしょうか。子供が自分のことを、家族内で呼ばれる名前のまま(つまり固有名で)「○○ちゃん」とよぶ時期があって、その後「わたし」とか「ぼく」とかと、つまり一人称の代名詞でよぶように変化する、といわれます。それは世界にひとつしかない固有の存在として自分を認識している段階から、だれにでも使用可能な、或る「わたし」としても自分自身を認識することができる段階への移行、などと説明されます。

お母さんもお父さんも、また他の知らないひとびとも、自分同様に「わたし」であるのだ、といった認識が、相手の立場にたつ(相手の立場を理解する)ことを可能にする……。いや、そんなことはとっくのとうに学習済みであって、ただその応用に時間をかけているだけとか。あるいは、単に自分の(言語)世界における「おかあさん」という語の指示対象を固定しておきたいだけ、なのかもしれません。

訂正したくなるほど気になる、ということに無関心でいられなかったので、コメントさせていただきました。

_ いづみ ― 2010/10/24 10:54

>コマンタさん

ジェイ、おもしろいですよー。この間、ウサギのぬいぐるみ2匹を抱えて

ウサギ(声優:ジェイ)「おかあさん、おかあさん!」

と見せに来たので、

母「ウサギさんのおかあさんはジェイちゃん?」と聞いたら、

ジェイ「ウサギちゃんのおかあさんは、おかあさん!」

母「おかあさんはおかあさん?」

ジェイ「…(私を指さして)このひと!」

ですって。おかあさんという呼称に一抹の疑いを持っている感じです。

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