自分ケアその後。2012/10/10 13:01

ラジオ体操も、コーヒーも、ぼちぼちと続けております。三日坊主になるためにはせいぜい3日は続けなければいけないんだよなーなどと思いつつ。ま、その3日は越えたかな(笑)

気づいたこと。

「今ここにいる自分のために、何かをしてあげること」

それを意識しながら行動すると、とても満足感があるのです。

少し将来の自分が困らないように何かをしておくことは、よく意識していたのですが、今ここにいる自分に対しては、案外見向きもしなかったことが多かった。

今日は、図書館に行って、自分のための本を3冊借りてきました。(いつもは、土曜日にエルと一緒に図書館へでかけ、ジェイのための絵本を借りてくることが多いのです。)大人フロアでのんびりゆっくりうろうろできて楽しかった。

それから、

これから生活していくためのささやかな目標(意味?)のようなものを見失ってしまってつらかったのだけれど、

(おかげで、『悩む力』つながりの、フランクルやら夏目漱石やらを読み散らし、今はふと手に取った内田樹を読んでいるところ(笑))

なんとなく見えてきました。

元がアマノジャクなので、社会の中の多数派の価値観に対して自分がどのような位置にいても、別にかまわないはずなのです。

そういう、ゆるやか(でまっとうであればなおよし)な批判軸があってもいいんじゃないの?と内田樹は書いていたと読めました。あくまでも個人的には。

その立場をこれまたゆるゆると発信していけば、何かどこかでバランスが取れるみたいなこともあるんじゃないかと。

書いてみる一番の利点は、自分が自分を見失わないということなんですけれどね。

やり方はどうであれ、毎日笑顔で暮らせれば、それがだれかの元気になるんじゃないかな、みたいな素朴でストレートな感覚が、なんとなく見えてきました。

しばらくは、その感覚にしたがって進んでみよう。そしてまた、気づいた時に軌道修正すればいいんじゃないかと。…今回のようにね。

コメント

_ にっしー ― 2012/10/16 14:40

よくわかります。

>「今ここにいる自分のために、何かをしてあげること」

私は、これを「自分中心」と呼んでいます。

「自分中心」の軸は、細心の注意を払っても、ずれてしまいます。
思いやりの気持ちがある証拠でもあるのですが。

それで、「自分中心」の軸は、どういう風に補強する事が可能なのか?私も試行錯誤の毎日です。

化学の実験みたいです。

_ 尊師 ― 2012/10/17 20:15

先日、学生時代からの友人と会って、浅草松屋前で、「我々も、漱石の享年を超えてしまったな。信じられないよ…」「本当に…」「鴎外も露伴も荷風も史伝を書いたが、漱石は…」「もう少し長生きしたら書いていたかもね…」などという話をした。そうそう、先日、谷中の感應寺に行って渋江抽斎の墓を見たのだが、この寺にあるグレープフルーツの木は本邦最古のものだとのこと…

_ いづみ ― 2012/11/02 10:00

>にっしーさん
自分をきちんと勘定に入れながら動くのって案外難しいよね。バランスというか。自分と周囲を同時に扱うのが難しいから、せめて自分をメインに扱う時間を作ろう…と日々実験中です。

「神話の力」に、自分だけの聖なる時間や場所を持つことが大事だとありましたよね。それを思い出しました。

>尊師どの
漱石は門下生のよき父でありながら、家庭ではよき父に徹することができなかった、というのを読んで、なるほどなーと思いました。私のメンタリティーもそういうベクトルをはらんでいるような気がします…(もちろんスケール感は小さい!)(^-^;

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