ガチなメンヘラからのマジレス。 ~『リスカ』『OD』という言葉 ~2015/04/15 09:54

「リスカ」「OD」という言葉が、
ネットを経由して、広まっているらしいです。
http://psichiatra.blogspot.jp/2013/04/blog-post_3194.html#P9s0lzY.twitter_tweet_ninja_l

恐らく、南条あやちゃんの
『卒業式まで死にません』
http://www.amazon.co.jp/dp/4101420211
あたりから出てきたものでしょう。

ガチな四十路メンヘラから、あなたへのメッセージ。

「リスカもODも、絶対に、後悔します。」

私は、二回のうつ病を経験しました。

一度目は、結婚・転居・研究などが重なって、
治るまでに3年かかりました。

二度目は、生活の用事を能力以上に引き受けてしまい、
こちらも治るまでに3年かかりました。

そして、一生、予防のための薬を飲み続けることになると思います。

リスカもODもしました。
手のひらに山盛り3杯の向精神薬を飲み、
風呂場で手首を切りました。

もちろん、そのどちらでも、死ねません。
救急車で運ばれ、入院しました。

リスカの傷は一生残ります。
今でも左手に、時計とブレスレットは欠かせません。
見るたびに後悔します。
つり革につかまったとき。
友達とお茶しながら、ほおづえをついたとき。
寝ながら子どもに本を読んであげるとき。
見つかったら、なんて説明しよう?
子どもが真似したらどうしよう?
子どもがうつ病になったら、私のせいだ。

知り合いに、妊娠しているのに気づかず、
ODしてしまった人がいます。
その子はたまたま無事だったけれど、
もし、他の子どもと違うところが見つかって、不安なとき、
自分のODが原因かもしれないと思ったとしたらどうでしょう?
一生の間、自分を責め続けることになるでしょう。

そこまでの覚悟を持てますか?

うつ病は、単なる落ち込みや調子の悪さとは違います。
脳の病気です。
思考が完全に乗っ取られてしまうのです。
「生きていてもいいことなんてない」
「死んでしまった方が楽だ」
病気がそう思わせるのです。

一度目のうつの時は、その思考に振り回されました。
二度目のうつの時は、その思考に対して、
「病気がそう思わせているだけなんだ」と、
かすかに信じられました。
だから、なんとか、生き延びることができました。

家族がいなかったら、生きていられたかどうかわかりません。
実際に、何人もの友達が、逝ってしまいました。
そういう病気です。

休養して、
病院から出されたお薬をきちんと飲んで、
時間が経てば、
うつ病は必ず治ります。
いいことも、いっぱいあります。
私は、いろいろあったけれど、今とても幸せです。
生きていてよかったと思っています。

リスカとODの後悔は、一生背負っていきます。
若い頃は、かっこよかったかもしれないけれど、
四十すぎたら、ただのバカです。
どうかしてる、関わり合いになりたくないやつです。

後悔からも、学ぶべきことはきっちり学んで、
子どもを産み育て、だんなさんより長く生きることが、
今の私の使命です。

誰かのお役に立てればと思い、このメッセージを送ります。
読んでくれてありがとう。

【速報】お薬決まりました。2015/04/13 16:31

今日は診察でした。

資料とレポートをがっつり抱えて臨んだプロ患者だったわけですが(笑)
主治医とよーく相談した結果、

・アナフラニールは1日1錠(夜)に減薬。
・レキソタン1ミリは1日1錠(夜)に減薬。

・「リーマスを朝1錠」がプラス。

になりました。
とりあえずどんな感じになるか、飲み始めてみて、
人体実験してみたいと思います。

相談に乗ってくれた皆様、本当にありがとうございましたm(_ _)m
今後もよろしくお願いします(^ー^)

5分でわかる!今回のうつ ~エピソード2~2015/03/24 05:40

一切記録を取っていなかったので、記憶によるものです。前後関係などはかなり曖昧です。が、一応一段落ということでメモ。

2011年:今思えば、4年前の私はすでにちょっと危うかった。3月の震災で軽くうつが入り、その反動か、4月にジェイが幼稚園に入って、数年ぶりの自由を満喫すべく、ランニングを始めたり、小学校にボランティアに行ったり、おしゃれを取り戻したり、軽躁的な様相を呈していた。秋頃からだんだん疲れ気味に。

2012年4月:小学校のPTA役員を引き受け、仕事内容もメンバーも楽しかったけれど、いろんな保護者がいて大変だったことも事実。また、義姉一家が徒歩20歩くらいのところに引っ越してきて、それ自体はうれしいことなんだけれども、環境が変わったことも事実。加えて、エルのピアノコンクールの練習が進まず、脳内でブチッという音がして切れたのを感じた。

2012年7月:ピアノコンクールが終わると、それまでの緊張が一気にゆるみ、軽くうつが入る。眠れない・食べられない・涙が出るが2週間続く。今回のは本物だぞと思い、とりあえず、かかりつけの内科でドグマチールとセルシンを出してもらう。7月から10月まで飲んで、生理が止まったのがつらくて、自己判断で勝手に減らす。ひたすら悲しくて仕方なかった。今思えば、どうしてここで心療内科に行っておかなかったのかが悔やまれる。

2012年12月:いよいよ頭がパニックになって、脳内が騒がしくて眠れない。12月の始めに、10年前のうつを卒業した心療内科を受診。10年前最後に飲んでいた、アモキサンとセルシンと眠剤(デパスとレンドルミン)が出る。

2013年4月:2年目のPTA役員は、主治医の勧めで同じ役職を続ける。新しいことは一切しない、仕事も極力合理化して負担を減らす。だんだんアモキサンの量が増えていくが、年明けあたりから徐々に減らし始めた。ドグマチールをやめて、10ヶ月ぶりに生理が来るが、更年期的様相。

2013年5月:アモキサンを1日1錠まで減らしたあたりで、軽躁エピソード(躁鬱混合)。買い物しまくる。1ヶ月でうつに逆戻り。この時点では「冬期うつ」との見立てだった。

2013年9月:自律神経が壊れ、ひどいめまいに襲われる。耳鼻科で「メニエールの疑いあり」と診断され、イソバイドを1ヶ月続ける。周囲の人には「自律神経失調症」と部分的にカミングアウトし、助けてもらうことに。

2013年後半~2014年5月:なんとか小学校には顔を出すものの、みんなに「…具合どう?」と聞かれるほど病人オーラmax。アモキサンもどんどん増えて、最大量を飲むようになるが、あまり効いている気がしなかった。PTA役員の任期が5月で終わる。前年来た5月の軽躁は来なかった。ひたすらうつが続く。

2014年6月~11月:ひたすら寝込む。買い物はおろか、身体を起こしているのも苦しい。アモキサンは最大量(1日150ミリ)をちょっと超える。抗不安薬は、ソラナックスが合わず、セルシンでは弱く、レキソタン5ミリ×3回に(多すぎ)。希死念慮がひどく、9月頃に閉鎖病棟を紹介してもらって見学に行くが、人が多くて怖く、結局家で寝ている方を選ぶ。同じく9月頃に、婦人科も受診。ホルモン注射を打ってもらっても、うつも生理もよくならなかった。帰納法的に、更年期うつの治療法も断念。

2014年12月:希死念慮が続くので、10年前のうつで最初に飲んでいたアナフラニールとの併用開始。2週間くらいすると希死念慮も軽くなる。

2015年1月:だんだん躁が出てくる。1月半ばから買い物しまくるようになる。最大量だったアモキサンは1ヶ月くらいであっさり中止、アナフラニール朝晩とレキソタン1ミリ×3回に。

2015年3月:見立てが、冬期うつから双極Ⅱ型(あるいは軽度のⅠ型かもしれない)になったらしく、すぐにではないが長期的に見て、ムードスタビライザーとしてリーマスかテグレトールはいかが?と言われる←イマココ。

5分では読み切れない量でしたね(^-^;

これまでは、10年前のうつで人体実験した、自分的テッパン薬しか飲んでいなかったので、新しい薬を試すのがちょっと怖いです。

ムードスタビライザーとして飲むのならば、恐らく一生続けなければならないと思うし、すい臓が無いことで他の臓器にも負担をかけているのも事実。できれば身体に負担が少ない薬にしたい。

次の診察までの3週間、ちょうど軽躁相だし、集められるだけの情報は全て集めて、主治医とよく相談してみたいと思います!