そうだった。2010/09/25 23:08

まだ退院してきて1週間ちょいなんだよね。9月の始めに手術して、今が9月の終わりだから、もう1ヶ月くらい過ぎたような錯覚に陥っておりました。

どおりで(!?)金曜は、十分想定内のはずの、お疲れダウンモードで、シャワーもパスしてひたすら倒れておりました(^-^; ←しかし毎度後から気づくの法則。

1日も早く、以前と同じように、日常業務をこなさないと!と気ばかり焦るのですが、まぁ、すぐにはムリだ。

こういう、身体が思うように動かず、気持ちがあせるのは、うつうつと同じ。しかし、ゆっくりでも少しは「動ける」ので、ず~~~っと楽!

しかも、数週間前に手術をした、という、自他共にわかりやすい理由付き。これはすばらしいっす。

と、「ありがたい」などと思っている時点で、やっぱりちょっと変わってますね(^-^; ま、いっか。

トップスピードな育児中主婦という目の前のハードルを別にすれば、リハビリは至って順調です♪ ←という視点を忘れないよーに<自分。

入院中、自分の属性が最小限になって、「二人の子持ち」が肩書になかったんだけど、それもなんだかつまらないなぁ、って思った。そう思えた自分は幸せだ。いい経験をしました。

イマイチ。2010/09/19 09:42

昨日は、午前中と夕方にゆっくり昼寝をしたので、夜まで体力がもちました♪しかし見積もり以上に、手術で消耗してる&育児生活って重労働、なのね(^-^;

今朝起きて、しばらくすると、突然気持ち悪くなってきて、とりあえずひたすら横になっています。こういう時に、携帯は便利ですね。手軽な気晴らし&暇つぶし。

退院後に注意するのは、すい臓の表面がすい液でやけどをおこす症状で、痛みはあったりなかったりなんですが、38度台の熱が出るそうです。熱を測っても平熱なので、一応大丈夫そうではありますが、なんだか、すい臓部分がどよーんと重いような感じもしなくもない…ような?

永久に失われし我が内臓よ!とナーバスになりかけることもあるのですが、所詮、寿命が尽きれば我が身もろともなわけで、それはある意味そんなに先のことでもない。まぁ平均余命まで、長いと呼べば長いけど。あと10年くらいは貧乏根性が顔を出すに違いない←と前もってインプット。年齢によって、受け止め方がどんどん変わって来そうですが。

子どもがいるから早く元気になろう、親のためにもずっと健康でいよう、というのが無意識なスタンダードになっているのですが、それをあまりプレッシャーと感じなくなりました。そういう「欲」がなかったら、もっとがっつり「病人」にはまりこんでいたと思う。

自分を健康な人間と思っていない分、典型的な病人とも思えないのです。アマノジャクもここまで来れば、生命エネルギーに変換できるということか(笑)

「できる範囲の知恵と努力を投入して、何とかかんとか、フツーレベルの健康な生活が送れる」という、日常かつ人生システムを身につけたことが、ポストうつ的に最大の成果なのかもしれません。

と、一見コ難しい(ようだが限りなくナンセンス)ことを、とりとめもなく考えている時間ってステキ。このムダがあるからこそ、進んでいける、どこかに(笑)

退院後のシナリオB2010/09/01 13:38

入院準備も一段落。さて、退院後のこともちょっと考えてみる。

以下は、あくまでも可能性の話。

シナリオAは、例のカタマリが良性だった場合。とりあえず、めでたしめでたし。経過観察として、年単位で検査がありそうです。

で、もちろんシナリオBもございます。

何らかの悪性部分が存在した場合。恐らく、抗がん剤治療をすることになるのではないか。週1ペースで点滴を4週連続+1週休む、以上が1セットで、これを何セットかやるらしい。

希望的観測では、最も軽めの予防的な意味の強い治療になるだろうとは思うのですが、確かにこれは大変そうだ。話を聞いた人は、3セットで(気持ち的に)もう病院に行けなくなったそうです。それってごくフツーな反応だと思う。

これがもし私の生活になったらどうだろう?と考えてみた。

「…まぁ、そういうこともあるのかなぁ」

じたばたしながらも、結局は引き受けてしまうようなイメージ。

もちろん、それは非常に大変だし、できれば避けて通りたい。これまでは一度も想像なんてしたことの無かった姿。

けれど、その時点での可能性として、いちばん長く生きるための一つの選択であると、たぶん納得できそうな気がする(あくまでも今のところは)。

もちろん、身体的にムリだったら、別のシナリオCという可能性もある(これは不確定要素が多すぎて、その時にならないとわからない)。

しかしどうして、そこから逃避しようと思わないんだろう?無理してる?我慢してる?もちろん、そういうところもある。

けれど、そこにはきっと、ある種の新しい経験という側面がある。その局面に立ったときの自分の気持ちを知ってみたいような、知らないままでいたいような。

日常の中の、非日常とは。非日常だと思っていたものが日常になることとは。

自分が生きていることを、ある面で、相対的に受け入れているところがあるのかもしれない。もちろん、もう70までは絶対生きるって、35のときに決めてあるし、その先もたぶん、憎まれっ子世にはばかる的にぎらぎらと存在し続けていると思うんだけど(笑)→この話はまた、ポストうつ系のどこかへ通ず。

ジェイの寝てる間に、とりあえずアップ。すみません、とらえどころの無い話で(^-^;