繰り返し学習って一体?2010/11/29 11:42

最近、発達障害の本から、発達の凸凹の本を、読み継いでみた。

「発達障害の子どもたち」→「ギフテッド」→「才能を開花させる子供たち」

個人の中の能力差というのはなかなか興味深い事実だと思った。IQについては最初から批判的な学びをしてきたので、IQ神話の崩壊というテーマ自体は取り立てて新しいとは思わなかったけれど。もちろん上手に使えばざっとしたスクリーニングなどには便利。

発達障害、サヴァン、ギフテット、定型発達などは、究極的には、同じ枠組みの中で説明された方がいいと思う。いや、それがもし可能ならばとっくに誰かがやってるはずだ(^-^; 実に壮大な妄想ですが、正論ではある。脳科学あたりが仲介する方法論としては妥当か。

で、同時並行中マイブーム課題、「繰り返し学習とは?」ですが、ちょっと意外に感じたのは、幼い数学のギフテットが、計算のような繰り返し学習を好んでやる場合があるそうです。しかしそれは、法則を見つけ出そうとするような主体的な活動らしい。

「繰り返しによって、法則が得られ、身につく」、というのは、比較的理解と意欲が高い群に対して有効な説明なのかもしれない。

でもさ、実際に繰り返しを強要されるのは、比較的理解と意欲が低い群に多いような気がする。根性論とでも言いましょうか。確かに「勉強しているように見える」し、それなりの効果もある。

しかし、それが本当に「身につく」かというと、悩ましいところ。たぶん直近に習った手続きを機械的に当てはめてしのいでいる子どもも多いに違いない。このスパイラルが勉強嫌いを作り出す装置になりうる気もする。

…というようなことを前面に打ち出してスローガン化すると、「ゆとり教育」みたいな得体の知れない及び腰になっちゃうのかもしれないので、そのへんのバランス感覚には注意が必要。もちろん、基礎技能の習熟は必要だし大切。ただ、技能の前提となる、理論部分がちゃんとしてる上での繰り返し?とちょっと疑ってみたい。見かけの根性論に陥っていないかどうか。

本当は、繰り返しの効果について、実証的な研究をしてみないと何とも言えないので、歯がゆいのですが。

以下、私は繰り返し学習がやや苦手なので、その辺を割り引いて読んで欲しい、個人的な意見。

カリキュラムの構成要素を厳選した上で、もっと、システム(トップダウン)レベル、ノウハウ(ボトムアップ)レベルで、多方面からあれこれと教えてもいいと思うのです。

現在その役割を果たしているのが学習塾なのかな?しかし、塾が受験を目指す以上、その方向性はおのずから決まってくる。

いやきっと、日常場面でも、何かできるはずだぞ!←と思いたい。

そこで、何か提案できることはないかと、今は、数量概念の基礎として、最初にどんなモデルを示したらいいのかをいろいろ考えているところ。つまりは、システムレベルの本質を含むようなデザインとは何か。例え直感的にでも、全体を流れる本質に触れているかどうかが、定着に関わってくると思う。

それから、計算のやりかたについて、エルを観察しつつ、いろんな方法を意識して使い分けることを教えてみているところ(ある意味、実験)。手続きが自動化して速くなるのは、まぁ悪くないんだけど、同時に、量の感覚や別の概念と結びつけるための手がかりを、どこかに残しておきたい気がする。それが、「複数経路での理解」なんじゃないかという仮説。

例えば、エピソード記憶と意味記憶はある程度独立ならば、それらを併存させることも可能ではないか?

とか、

一つの抽象的な公式と決めないで、本人にとって理解しやすい形式や内容というものを、ある程度は、選べてもいいのではないか?

とか、

記号にすると離散的になってしまうものを、生活の中で連続的に扱う工夫があるはず。

とか、そんなことを、たまーに考えながら過ごしています。

いやー、個人差の問題に対するアプローチって難しいですね(^-^;

連ツイ「数と計算」2010/11/14 16:09

数と計算について、11/12~13日の発作的連ツイのまとめです。モンテというのは、幼児教育で有名なモンテッソーリ(メソッド)のこと。そこからふと突破口を発見。

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個人的に、新しい子ども観(自ら熱中して学ぶ)+環境整備=モンテの大筋、って思ってるよ(^-^;

新・指導要領眺めてて、モンテ的発想は大いに役に立つと思った。早めに要領よく種まきしておけば、授業からキャッチできるものが増えるかもしれない。もちろん一部先取りもアリなんだけど、学習内容を構成要素に分けて、単純なものから順にクリアしていく、みたいなイメージ。

posted at 18:12:55

今考えているのが、「数と計算」分野の構成要素。足す、引く、という言葉や記号を導入しちゃうと、算数→計算→足し算か引き算か?みたいな単純な枠組みができあがってしまう気がして、コワイ。って、これをコワイと感じるのは私だけ?

posted at 18:16:12

計算の前に、数そのものについてもっとあれこれやってみることが大事なのかもしれない。具体的には、手を使った5×2進法。それから、頭の中に、5のまとまりタイルとか、5個ずつ色が違う10玉そろばんがあって、 6,7,8あたりの数字を視覚的にイメージできれば、最終的に計算は速くなる。

posted at 18:19:09

数の合成・分解も、計算のオマケのように数字記号でやらないで、もっとタイルとか具体物とか○とかでガンガンやればいいのよね。数字記号にしちゃうと、一気に離散化が進んで、連続数への壁が高くなる気がするんです。例えば、1時半と1時間半の違いをどうやって理解させるか?

posted at 18:22:39

苦し紛れに、折り紙で作ったタイル数直線(10ごとに違う2色でできている)が使えないかなぁと、壁に貼って眺めているんだけど、タイルって、離散でもあり、連続でもあるのよね。そこは水道方式のいいところ(他の指導内容では?と思うところもあるけど)。

posted at 18:30:21

数直線は、中1の負の数の導入でも必須アイテムです。それ以前の、中学受験系の○○算では超大活躍。←算数って数学よりある意味難しいと思う。抽象化して処理しつつも、必ず、現実場面に戻ってこないといけないからね。文章題嫌い、っていうの、よくわかる。面倒だし戻って来たくないよ。

posted at 18:33:53

どうして1ケタ~20未満の数と計算にこだわるのかというと、10進法がそのまま小数の概念に続くのもあるし、「10集まると別の1になる」というルールを徹底的に理解することが、分数や比や割合(←難易度が高い)にもつながるからです。

posted at 07:24:23

水道方式も、繰り上がらない数の計算の指導方法はいいんだけど、繰り上がる数の扱いで、5を優遇しすぎ。子どもはいろんなやり方で計算しているし、それでいいと思う。数の脳内表現さえしっかりしていれば。

posted at 07:25:59

数(量)のほうの扱いをちゃんとしないで、数字の計算だけをやらせて高速化しちゃうと、この「脳内表現」が、将来多方面で使えないものになっちゃう。もちろん悪くはないけどもったいない。逆に、ちゃんとした表現があれば、いつかは計算も速くなるし、将来それを多分野で使える。

posted at 07:29:56

もちろん、計算するのにいちいちタイルやそろばんを思い浮かべていたら、それはそれで遅い。ある程度まで習熟したら、思い浮かべる前に答えが出て当然。しかし、8+6、みたいな、ちょっと難しめの計算で滞ったとき、ぱっとすぐ取り出せる位置にキープしておくのが賢明。ある意味保険です。

posted at 07:33:04

さて、折り紙で作った、1.5センチ角正方形の数直線の材料を総称して「100ます折り紙」と命名することに。これをどう使いこなすか、考え中。量産方法も。

posted at 07:37:03

指導要領、雑感。2010/11/10 14:32

長らく記事を書いていなくてすみません。生存確認・事務連絡その他はツイの方へどうぞ。

指導要領のなかの一覧表をプリントアウトし、PCの隣に置いて、毎日うーんうーんとうなってました(笑)

まだまとまらないのですが、雑感。

まずは、算数。

年齢相応よりも早めに導入される概念が多い!気がします。早めに導入して、複数の学年で繰り返し扱って定着(スパイラル)、とかいうコンセプトらしいですが、

…現状でいっぱいいっぱいなのに、それはムリ!

と見たよ。というわけで、概念定着に必要な先行経験を整えておいた方がよさそう。と、方法論までごった煮にしてぐるぐる考え中。キーワードは、離散から連続へ。

そして、国語。

問題文を読んで適切な答えを選べる、という活動だけでなく、どんどん読書もしましょう、自分の考えを話しましょう、書きましょう、みたいな、産出のほうにも重点を置いている感じです。

ま、それはそれでごもっともであります。

が、方法論が確立していない上に理想論をのっけるのは相当危険。リメンバー・ゆとり教育。まずは読書を片輪に据えれば、あとはもっとハウツー化してもいいんじゃないか?

例えば、文法を単なる規則としてちょこっと教えるのではなく、英語のように、構文レベルでガンガン使い方をたたき込む。そう、第二外国語のように国語を学ぶのであります。←我ながらこれは斬新(笑)

実際問題として、…いや、こんな乱れた平成軽薄体を駆使したブログで吠えるのもなんなんだが、日本語の使い方知らないでしょ?!みたいな子ども~若者はかなり多い。たぶん同年代以上も推して知るべしという気がする(もちろん私も含め!)。言語の根っこは、コミュニケーション。次に伝統的体系。そのへんからだな。