ココロのエネルギー。2009/09/11 10:46

昨日は、パン教室に行って、ベーグルを習ってまいりました。なんと、ジェイ同伴で!

先生は、以前からの知り合いのママ友さんなんですが、自宅で子連れママ向けのパン教室をやっているというのを、別の方から偶然に聞いて、興味津々。

まずはブログを読ませてもらって、元々は外で働こうと思っていたけれど、自分の子どもをよく見るうちに自宅でお仕事をすることになった(←これがポイント)という経緯&情熱と、ママ向けに徹底して配慮した運営方針がたまらなくツボで、空きがあると聞いて早速参加させてもらった次第であります。

隣の部屋で遊ぶジェイを横目に見つつも、無心にこねる貴重な時間と、おいしいコーヒーと、たっぷりのココロのエネルギーをもらって帰ってきました。ベーグル4個はおまけ?いやいや、めっちゃおいしかったです。エルが朝ご飯にお代わりしたくらい!半日たっても十分おいしい位ですから、昨日の焼きたてベーグルといったら、それはそれは、ベーグルってこんなに美味だったのね!と目からウロコでありました。

もともとめんどくさがりで、手持ちのエネルギーも少なく、一人って楽だし楽しいわ~と過ごしている私ですが、時々、すこーんとエネルギーが尽きて、居ても立ってもいられないような気持ちになるのです。そういうときは、自分が理屈抜きにこれだ!と感じられる人(必ずしも親しい人とは限らず、また、その時によっていろんなタイプがあり)と一緒に過ごすと、なんだか自然にココロのペースが整ってきて、身体の隅々まで酸素があふれていくような、なんともいえない快適な感じになっていくのです。…友達選びも自己実現の一部なんですね(笑)

今朝はジェイを連れて散歩していたら、近所に住む、ママ友の友達さん(もみな友達?)が犬の散歩をさせているところに会い、ジェイは犬に大喜び。彼女も、話をしていると、行き届いた感じがもらえて、ほっとする人なのです。ラッキー。

帰ってきてPCを開けてみたら、またまたうれしいメッセージが入っていて、毎日楽しみにおじゃまするブログがまた一つ増えました。大好きなブログめぐりは、忙しいときでもバーチャルに会える(読める?)、毎日のお米のご飯のような、ココロの基礎栄養です♪

昨日の朝は、ほぼ空っぽで、ロボットのようにふらふらぎしぎしと過ごしていたココロに、エネルギーがたくさん満ちて、なんだか幸せです。


うろこ雲 出会う女性に 息深く

科学と仏教の、なるほど。2009/03/20 14:26

昨日、とてもおもしろい記事を読んだので、ひとつ全文掲載します。もしNGだったら即引っ込めますので乞う連絡。


2009年(平成21年)3月19日、木曜日、朝日新聞(夕刊)、3版、11面。

日々是修行 ー仏教が語る心の法則性ー 佐々木 閑(花園大学教授)

私たちは、この宇宙に「科学の法則」というものがあることを知っている。そして、「科学法則を正しく理解し、利用すれば、自分たちの生活を、より良いものに変えることができる」と考える。実際、今の文明社会が、科学の法則を利用して成り立っていることは、誰でも分かっている。法則そのものは、良いものでも悪いものでもないが、それをうまく正しく使えば、自分たちの役に立てることができる、そういう理屈である。

実は釈迦も、同じことを考えた。違いは、その法則が「宇宙法則」ではなく、「心の中の法則」だという点にある。宇宙法則を解明して、それを社会の向上に役立てるのが科学の目的。人の心の法則を解明して、それを「苦しみからの脱出」に役立てるのが、仏教の目的である。心の法則をうまく利用して、安らぎの状態に持っていこうというのである。 人の心は、苦を生み出す仕組みが備わっている。心には、煩悩と呼ばれる悪要素がいくつもあって、それが外的な原因をきっかけとして活発に動き出すと、現実に合わない誤った認識が起こり、叶うはずもない願望を生み出す。たとえば気に入ったものが手に入ると、「貪欲」という煩悩が動き出し、「これは私の物だ。私だけが、この物を自由にする権利があるのだ」と認識し、そして「これを永久に持ち続けたい。永遠に生き続けて、いつまでもずっと持っていたい」という、叶うはずのない願望が生まれてくる。叶うはずがないのだから、当然最後には願望は失望に変わり、心はもだえる。そのもだえが苦しみとなるのだ。だから、苦を根本的に取り除くには、その「苦を生み出す仕組み」そのものを消すしかない。

煩悩を刺激する外的な要因は、世の中に無限にあって、それを消すことなどできないから、「心の中の仕組み」の方を消すのである。それが「修行による心の改良」である。科学のように数字で表現できる話ではないが、全体が理詰めで成り立っているところに仏教の合理性を見て取ることができる。


とまぁ、一読すると説教くさい話とも読めますが、ポイントはこの「心の中の仕組み」の方を変えるしかない、ってところだと思うのです。

自分が変われば心静かになれる、って話だとは思うのですが、せっかくだから、科学の目指す、社会を向上させる方向にもつなげてみたい。科学と仏教のミックスジュース。

不満を感じたときに、「世の中が間違ってる!」と声高に非難するのも、まぁやりようによっては社会を変える一つの原動力にはなると思いますが(しかしスマートでない方法が暴力的に横行している気が)、そこまで直球な話にしなくても、それが自分の中の素朴な合理性と、世の中の本来的な(現象的な、ではなく)成り立ちとの間の小さな摩擦であれば、自分の心のありようを見つめることが、いずれ社会を変えていくための不可欠な要素ではないかと思うのです。

結局、個の中の普遍を見すえて進んでいかないと、世の中ってよくなっていかないんじゃないのかなーと。心の普遍を指し示してくれるものの一つが、仏教を含めた各種宗教なのかもしれない。科学ばかりでも仏教ばかりでもつまらないけれど、バランスを取りつつ、いいところを取り入れていったら、人生&生活が楽しくなるかもしれない。

まぁそんなことをぼんやりと考えたのでありました。もっと別の時だったら別のことが思い浮かぶかもしれない。エルとジェイが育っていくこの先、どんな風になっていくんだろう。前もって知ることはできないけれど、せめて一緒に考えて行動して行こうと思います。まだまだぼんやりな春です。

人を動かすもの2008/05/08 16:21

祖母の介護を目の当たりにしていろいろと考えさせられたのですが、まだまだ書いておきたいようなことがあるような、ないような。

実家の母は、40代で亡くなった叔父(母の弟)の代わりに祖母の面倒を見ることになったのですが、それまではまったくそのつもりはありませんでした。むしろ、母と祖母はかなり仲が悪かったほうです。面倒を見るために同居し始めた頃は、昔のうらみつらみを思い出して、私にこっそり話しては憤慨していました。祖母が元気なうちはしょっちゅう大声でケンカもしていたし。ホントに大丈夫?と思ったのですが、具合が悪くなってからは、むしろ献身的ともいえるくらいよくやっています。

1ヶ月前に来たときは、祖母はエルやジェイに向かって「いい子だね、いい子だね」と言っていましたが、今回行ったら、上目遣いに小さく目を開けるだけ。じっと見ているので、お客さんだとはわかっているようですが、声は出ませんでした。ごはんを食べさせる時間も長くなり、食事の支度も、細かく刻んだり、フードプロセッサーにかけたり、より手間のかかるものになっていました。けれど母は「おばあちゃん、これが好きだから…」と言いながら、新鮮なお刺身や、家の周りの畑で取れた季節の野菜や果物など、食べ慣れたものを工夫して食べさせていました。

こんど検査入院をするというので、ついでだから1週間くらい病院で面倒見てもらったら?と母に提案してみたのですが、 「こんなに時間がかかると、病院ではごはんを食べさせてくれないと思うのよね…それに、環境が替わるとそれだけでも具合が悪くなるかもしれないし…」 と、かなり心配そうです。自分だって相当大変なはずなのに。結局日帰りで検査だけして帰ってきました。

どうしてなんだろう。

やっぱり血のつながった親子だから?母だから?それが義務だから?もちろんいろいろな気持ちや葛藤があって一つではないと思うけれど。

直感的には、

生命に対する尊敬

のようなものをなんとなく感じました。好きとか嫌いとか、愛情とか義務とか、そういうものではなく、これまで生きてきたこと自体に敬意を払うというような作業。どう生きてきたか、とか、その生き方を支持するかしないか、ということではなくて、これまで生きてきたという、そのものだけ。

死と生は反対のものではなく、生の延長上に死があると、志賀直哉も言ってたし。それを日々肌で感じている、最も近い人、という責任感が、母を支えているのでしょうか。

話は替わります。

今日デパートで、エルを出産したときに友達になった女性に会いました。彼女は店員さん。そこで働いているとは聞いていたけれど、名字に確信が持てない。でもあの横顔は絶対にそう。

母の日用の包みを待っている間に、彼女のことを視界のはじで見ていました。お客さんに商品の説明を丁寧にして、希望の品を持ってきて、てきぱきと働いています。お客さんが「これもこちらで10年前に買った物なのよ、もうすりきれちゃって…」と言われると「大事に使っていただいてありがとうございます」とうれしそうにしていました。

声をかけようかどうか最後まで迷ったけれど、結局、そのまま帰ってきてしまいました。彼女が素敵に働いている姿に勇気をもらって、それでいいんじゃないか、と思ったからです。

あのときは二人とも新米ママだったよね、今はお仕事も充実しているみたいでよかったね、私は二度目の育児を楽しみながらがんばるよー、って心で思うことが、実際に声をかけることより、彼女の姿にふさわしい気がしました。

なんだか、そういう目に見えないエネルギーの流れが世の中を温めてくれるのかもしれない。


まだまだ知りたいことがたくさんあるなぁ。世の中って、どういうしくみで、動いていくんだろう。そんなに悪くないところのような気もします。そう思えた日はちょっと幸せです。