使える知識(身体論的)/自立&自律の仮の一歩 ― 2010/02/03 09:44
正月後の気力低下に加えて、家族ほぼ全滅の胃腸系風邪で、ふらふらしておりました。折りしも節分、豆まきで邪気を追い払いたいものです。
で、その間に考えていたことなど。
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珍しく、雪が降りました。エルいわく
「雪って、ふわふわしてると思ってたけど、しゃりしゃりなんだね!」
と大喜び。1日でだいたい溶けてしまったのですが、日陰の道端の雪を集めて、手が真っ赤になるまで遊びました。帰宅後、お湯に手を浸して部分浴をすると、
「お湯がすごくあったかいと、凍ってるみたいなかんじ!」
手がじんじんと切れそうなくらいの感覚は、仮想を裏切る現実を、しっかりと身にしみこませた証拠なのかもしれません。
雪の夜が明け、雨戸を開けて一句;
人の数 ほどもありけり 雪の屋根
…エルとジェイの屋根にも雪降りつむ(^ー^)
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自由記述形式問題の採点を手伝う機会がありました。そこで感じたこと。
「使える知識」ってなんだろう?
知っている、だけではだめで、自在に使いこなせる「型」へと「技化」されて身についている知識のことである。
与えられた問題(ルール)の中で、手持ちの型や技を、どれだけ適切に利用していけるのか。
また、問題やルールを自分にとって切実なものとして引きつけるための「問題再構成力」もありそうだ。
まずは問題を、自分にとって切実な側面で切り取る。そして解答は、他者にとっても妥当なものに仕上げていく。自分の基準は個人的経験、他者の基準はコミュニケーションから得られるのかもしれない。
と、そんなことを考えました。
断片的な知識は、最初は点かもしれないけれど、異なる文脈で繰り返し参照することによって、線でつないでゆき、幅を広げて平面的広がりを持たせ、他の知識との相対的関係で立体構造となり、その空間を、自らの関心で切り取って使っていく。そんなイメージ。これは脳の構造ともパラレルですね。
平面的広がりを机の上とすると、そこから先の、立体空間は身体かもしれない。
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エルは、相変わらずの、プチ不安くしゃくしゃ期でもありますが、どうやら、親離れ仮の一歩を踏み出そうとしているようです。自分の基準で判断して行動したいらしい。なにかにつけて細かい主張をします(スプーンはどれがいいとか、こういう順番でやろうと思っていた、など)。
不安な時期のこだわりは、状況を把握するための羅針盤またはコンパスのようなもの、とモンテ系の記述にあった気がしますが、自分の基準が、どの程度妥当なのか、一般的に認められるものなのか、試行錯誤をしているのかもしれません。
おぉ、そう受けとめると、ずいぶん前向きじゃないか。
いちいち面倒ではありますが、自立&自律した大人になるための、大切な訓練期間には違いない。こちらも頭を切り替えて、合理的に対応するのが得策というものだ。
逆に言えば、これまでの間に、どれだけのルールを、暗黙の技として身につけてきているかがエルの資本ということですね。うーん、いちいち身につまされるなぁ、発達段階。しかも毎度後になってから(笑)そのために、いろんな本やら資料などがあるのですね。なるほど、そうか。むだにあれもこれもと不安になるよりは、「たぶん後から振り返れば実感できることなのね」と割り切ってふるい落とし、上手に使えばいいのかもしれない。目線の方向が違うだけで、ずいぶん違った世界に見えるという不思議。主観客観、傍目八目。されど子育て待ったなし。どーんと構えて自然体。
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