エピソード記憶と意味記憶(6才の数概念) ― 2009/10/11 21:55
今日は、エルとジェイを連れてフリマに出店してきました。売り上げは…うーんイマイチ(^-^;でしたが、とてもおもしろい現象を観察しました。
エルが、同級生のお友達と一緒に、買い物をしてきました。 おこづかいは、それぞれ、100円玉1枚。 二人とも、透明でキラキラのアクリル小物のつかみ取り1回と、ピン留め1つを買って帰ってきました。
エルのお友達いわく、
「つかみ取りをやったあと、ピン留めを買った」
そうです。
で、帰ってきてからエルに
「つかみ取りはいくらだった?」とたずねると、
「100円」と答えます。
「え?じゃ、ピン留めは?」
「50円」
「ん?おこづかいは100円だったよね?」
「うん」
「それだと合わせて150円にならない?」
「…うん?」
「つかみ取りとピン留めは同じお店だったの?」
「…忘れた」
…
その場にいなかったので、詳しいことはわかりませんが、いろいろと聞いてみても、どうやらエルは、つかみ取りは100円、ピン留めは50円、と思っているようです。
想像するに、
「つかみ取りをするのに100円玉を渡した」
「ピン留めは1個50円で売っていた」
という二つの別々な記憶があるのではないかと思われます。
ところで、記憶には、言語化しやすいものと、そうでないもの(たとえば、車の運転やピアノの演奏など)があります。言語化しやすい方の記憶を、宣言的記憶と呼びます。
宣言的記憶の中には、エピソード記憶と意味記憶があります。
前者の「つかみ取りをするのに100円玉を渡した」というのは、(1回限りの)エピソード記憶であり、後者の「ピン留めは1個50円」というのは、(いつでもあてはまる)意味記憶であるといえそうです。
だとすると、これらの別の種類の記憶の間をやりとりして、矛盾のないように調整するのは、6歳児にはかなり難しい作業なのではないか?と、今日の現象を観察していて思いました。
この異なる種類の記憶間のやりとりの難しさは、素朴な計算手続きの壁の話へとつながるのですが、それはまた後日。
↓数理解の初期の観察はまだまだ続きます♪
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