ホッとした。//圧力鍋カレー2009/10/06 21:18

エルの運動会が無事に終わりました。家でのくしゃくしゃに加えて、インフル含め風邪予防に気を使い、早寝早起きもがんばり、よくやった!と自分をほめたいです(^-^; もちろん、エルはたっぷりほめておきましたよ。というわけで、久々にPCつけました。自分のブログにあしあと(笑)

運動会が終わったエルは、お姉ちゃんっぽさを演じる余裕も取り戻したようで…あぁよかった(^-^;

話題替わって、

圧力鍋の、簡易かつ本格カレー。

圧力鍋で作ったカレーの、あのキャンプっぽい大味の熱通り加減がイマイチ好きでなくて、いろいろと試行するに、次の方法がもっとも簡単で、ほどよくおいしい事を発見。ティファールのクリプソシリーズは、蒸し機能用の中かごがついているので、こういう荒技(?)が可能です。

1.圧力鍋に、塩コショウしておいたシチュー用の肉を入れ、ひたひたになるまで水を注ぎ、ベイリーフ(や、お好みの香辛料。あとで取り出したい方はだしパックを利用)を入れます。その上に中かごをセットし、にんじんとじゃがいもは皮をむいて丸のまま、玉ねぎは皮をむいて横2つ切りにして切り口に油を塗って、入れます。野菜の上から塩少々をぱらぱらと振り、ふたをして火にかけ、10分くらい加圧し、自然放置。

2.鍋の圧が抜けたら、中かごを取りだし、玉ねぎだけを肉のほうに入れ(柔らかければ切らなくてもフツーにばらけます)、適当な量の水(トマト水煮缶でもよい)を入れて、10分ほど煮込み、火を止めてルーを入れ、とろみがつくまで煮ます。

3.にんじんとじゃがいもは大きめに切っておき、カレーをかけた上に乗せます。

・このやり方だと、にんじんはむちっとやわらかく、じゃがいもはほくほくで、カレーの単調な感じに変化が出て、楽しく(?)食べられます♪

・カレールーは、個人的にコスモの甘口をおすすめ。固形のルーだと、なんか妙にカレー粉くさくて(笑)使い切りミニパックのデミグラスソースなんかを足していたのですが、コスモのルーには程よいデミグラ感があってバランスがよいです。甘口といっても、子どもが食べられるぎりぎりでほのかに辛く、大人でもいけます。より辛口には、ガラムマサラ&チリパウダーで調整しています。

・肉が牛肉の場合、カレールーじゃなくて、ビーフシチューのルーかデミグラスソース缶にすると、同じ方法で、ビーフシチューにもなりまーす!もし面倒じゃなければ、塩コショウしたお肉をフライパンの強火で焼き付けておいて、赤ワインをじゅーっとかけ、それをさらに圧力鍋でやわらかく仕上げると、おいしさ倍増(先に焼くので加圧時間は8分くらいでいいかも)。いんげんかブロッコリーのゆでたのを添えると彩りに。

・鶏手羽元の野菜たっぷりローカロリーカレーのレシピがどこかにあるはずなんですが…。検索機能が無くてすみません。「こっぱみじんカレー」で探してください(^-^;

音楽から数学へ。(6才の手あそび)2009/10/06 22:03

前記事を書いて寝ようと思ったんですが、忘れそうなので急いで書いておきます。

エルと「ハイタッチ算数」をするべく、日々ぼちぼちと数あそびをしているのですが、こないだは「音楽がかけ算九九になっちゃう裏技?(伊東家の食卓風味)」あそびをしてみました。

まずは、リズムの練習。
「世の中には、4拍子の歌(その仲間が2拍子や8拍子)と、3拍子の歌が多いです」というつかみから。

リズムの練習は、たとえば4拍子なら、
「1234、1234、」と同時に
「・・・×、・・・×、」と手をたたく。

「4拍子は、4のところで手をたたいて、たたいた後は、また1から数えます。4のまとまりがいっぱいできますね。」

これを、知っている歌に合わせたりしながら練習。

「音楽の世界では、ほとんどが4拍子と3拍子なんですが…ここでひとつ、算数(数学)の世界に移ります。すると、なんと!1拍子から、10拍子でも100拍子でも、好きな拍子が作れまーす!」

と、しばらく好きな拍子を作らせる(5拍子とか…)。

「さて、これをちょっと変えてみます」

(この間に、4拍子の中に2拍子が2つあるとか、6拍子の中に3拍子が2つあるとかいう練習もしてみました。が、メインは次の数列バージョン。)

「1,2,3,4,5,6,7,8,9,10」と同時に
「・×・×・×・×・×」と手をたたく。

「どこが変わった?」
「1,2、1,2、じゃなくて、1,2,3,4,5,6,7,8,9,10になった」

「そうでーす。1,2,3,4,5,6,7,8,9,10にすると、なんと、この手を打ったところが、かけ算九九の答えになるんですねー。これは2拍子ですから、2の段の答えです。九九を覚えていなくても、答えがわかっちゃうという、すばらしい技なのでーす!」

で、一番簡単な2拍子で、10くらいまでの数で、何度もやってみました。

エルはもちろん、かけ算も九九も、正式にどんなものなのかは知りません。が、どこかでは聞いていて、なんとなくイメージだけはあるようで、なんだかニヤニヤしながら、「なーんだこんなの簡単じゃない!」とでも言いたげに、何度もやっておりました。

最近の5や10の補数のあそびは、確かに年齢相応で、かつ、非常に重要なのですが、1次元的な広がりのたし算・ひき算に凝り固まった数理解をさせてしまうのは、ちともったいないかな~と思い、かけ算メニュー(確かにこれも1次元なんだけど、まとまりごとにワープができる!)も作ってみました。残りの四則=わり算は、基本的に「かけ算+ひき算+α」なので、簡単な概念だけ押さえておけば、後からでもいいかも。直感的につかみやすい、かけ算のルールを早くからつかんでおくのはオススメかもしれないと、100玉そろばんを見ていて、なんとなく思いました。

このメニューのキーコンセプトは、「認知負荷を軽くする」ことです。声に出して耳でも数え、手をたたいてまとまりを作ることで、頭の中に、特定の数のまとまりをどんどんハイスピードで作っていきます。

この「認知負荷を軽くする」工夫については、書きたいことが山盛りテンコモリすぎなのですが、とりあえず、今日はここまで~♪

モンテッソーリ、ブログ風味(後半)2009/10/07 23:00

…それにしても変なタイトルですみません(^-^;

「モンテッソーリの教育―子どもの何を知るべきか 子どもの発達と可能性」、マリア・モンテッソーリ (著), 林 信二郎 (翻訳), 石井 仁 (翻訳) 、あすなろ書房 、1980。

という本の、前半からの続きです。
各章の内容と、*以下は読みながら考えたことなど。

第11章 文明の行進曲

文明の進歩は、子どもの発達を援助することによって得られる。
モンテ法では、指導者は子どもの後ろで子どもを前進させるが、
他の方法では、教育者は子どもの前に立ち、課した範囲を超えて進むことを止める。
教育の最初の仕事は、発展を援助し妨害を除くことである。

*モンテの、今までの教育に対する批判は強いです。それでも脈々と同じようなシステムが続いているのはなぜだろう。それが大人にとって便利だからかもしれませんね。

12章 達成のよろこび

発達の法則にもとづく活動はよろこびをもたらす。
子どものよろこびとは、達成のよろこびである。
よろこびは、完全な活動のまとまりを成し遂げることでえられ、力と独立の実感をあたえる。
達成の幸福感は子どもを平静にする。

*子どもが自発的に始めた、まとまった行動の遂行が重要である、じゃまをしてはいけない、と、くり返し述べています。

13章 精神的健康と成長にとっての鍵

(*ちょっと長くなります。キーワードは「現実にもとづく想像力」です。)

精神的健康は、精神的成長と同じ基礎を持つ。基本原理は、精神が現実を把握し、各発達段階に即して、現実との接触を確立することである。現実にもとづいて達成された個人的諸経験が真の知識を形成する。

行為遂行や環境の整備に失敗して、発達段階を正常に達成できないと、精神的成長や健康に影響が出る。この幼児期の抑圧は劣等感となる。劣等感の特徴は、内的強さの喪失と、現実に基礎を置いていないことである。

子どもの心に非現実的な恐怖を取り入れることによって得られる従順さは、不安を増大させる。

無秩序や混乱を示す子どもは、練習や経験を求めて外へ向けられるべきエネルギーが内部へと向けられて、子どもの中でうずもれている傾向がみられる。

空想や幻想に基礎を置く偽りの想像力は無秩序な行動を起こす。一方、現実から引き出された真の想像や考えは、本当の想像力であり、知性を形成する。

無秩序は、考え・動作・怒りに現れる。

大切なのは、早期に経験を得られる環境を与え、経験を組織化し、精神と身体を調和させるための行動を行うことである。

大人でも、無秩序の傾向を示す人は、現実との接触を失っているため、仕事や活動に精神を興味づけるような、現実との関係へ戻すとよい。

大切な原理は、精神は現実と結合されるべきであり、それが、精神的発達&健康の土台である。真の想像力と偽りの想像力の違いに注意。

*この章はなかなか読みごたえがありました。発達段階で失敗をするとこんな子どもになるかもしれないよーと読んでしまうと、幼児教育にありがちなプチ洗脳風味でなんかコワイので、その視点は撤収すべし。

時代背景を考えてみますと、発達段階に課題がある、という理論が、複数の人によって別々に作られつつありました。この「複数の人によって別々」というのがミソで、つまりそれらの段階や課題には非常に柔軟性があるということです。だから、これをこうしなければ!と限定してハッキリとは言い切れない。けれど、ある傾向を持った、おおざっぱな流れは確かにある、というような、長期的&ゆるいまとまりでとらえる必要があるかと思います。

また、「幼児期の抑圧にその後の欠陥の原因がある」と主張するのは、たぶん、精神分析学の流れを汲む精神力動学一般の基本理論で、これは当時としてはおそらく最先端&大流行の論調でした。モンテはその路線を大胆に取り入れて、魅力的に解説してみたのであろうかと想像しました。

現実に基礎を置く想像力、とは、昨今流行の「問題解決能力」に近い概念のような感じがします。古くて新しい提唱ですね。

14章 カメラと結晶

正常な活動を妨害することは抑圧を引き起こす。感光版はカメラを固定しないと像がぶれてしまうし、液体を揺らすときれいな結晶はできない。正しい試行や知識の基礎を発展させるためには、心に静けさや穏やかさが必要。

*また、これらの比喩は、限定的な側面に限って有効である点にも注意しなければならない、と述べています。

第15章 観察と発見

2歳半までは、子どもは自分自身のパーソナリティーの発達に専念する。それを過ぎた2歳半から3歳くらいの子どもには、社会的生活をさせために親しい人と訪問し合ったり、より詳細な観察と発見の援助をするために、散歩をさせたりするとよい。この散歩は(特定の目的を持たず)、子ども自身が観察や探求のために自発的に歩くものであり、精神が興味に向かい、身体がそれについて動くものである。真の知識は自然や現実を直接観察することによって得られる。

*子どもはまっすぐに歩きませんよね(^-^; けれど、それで大発見をしているのなら、ま、いいか。時間の余裕があるときに限りますが。

第16章 幼児期の科学

20世紀初め頃から、子どもを対象とした研究が始まり、子どもは予想よりも多くのことができることがわかってきた。小さな子ども(聞いたまま丸ごと覚える)が、より大きな子ども(意味のつながりを求める)よりも、簡単に記憶したりすることができる場合もある。子どもの家では多くの発見がなされた。敏感期の存在、自発的学習、実際生活訓練、感覚訓練など。

*それまでの幼児の研究を概観し、モンテ教育を新しいものと位置づけています。

第17章 文字と人類の進歩

言葉は人類の最も偉大な発見の一つである。話し言葉で伝達していたものが、文字の発明によって、思想を保存し伝えることができるようになった。最初は限られた人だけが文字を使っていたが、今では書けないことは障害となっている。適応のために子どもは義務教育をうける。

*「子どもの家」の子どもの親たちに、文字の読み書きができない人がいたということは、大切な背景として覚えておくべきだと思います。

第18章 一つの計画と多くのパターン

全ての種は宇宙の計画に従う。また、種固有のパターンがある。義務教育は、パターンを越えてもっと高い計画に一致するためのものである。あらゆる種は、パターンの他に、宇宙の共通の福祉のための特別な仕事をして、自然に秩序と調和をもたらす。

*今でいう、エコロジーという考えの、積極的な解釈ですね。

第19章 子どもの苦悩

(これまで方法の)義務教育は、進歩のための重荷を子どもに負わせている。衛生状態の徹底や質と量を減らす試みでは改善しない。教育における自由は、義務や責務を減らして遊びの時間を多くすることではない。

子どもの楽しみは、年齢以上のことを成し遂げることである。
満足とは、仕事に最大の努力を払うこと。
幸福とは、すぐれたやり方で、身体・精神活動がうまく導かれること。
(心・身体・精神の)強さは、錬磨と経験によって得られる。

真の自由は、個人の進歩と幸福に矛盾がない人類への奉仕を含んでいる。自由とは、解放ではなく、社会の奉仕に一致する、自己発達と自己実現を求めるための自由なのである。

社会の良心は、教育を、子ども時代の科学的知識に基づいたよいものにしなければならない。

*(義務)教育をまともなものにしたい、という願いには強く共感します。

第20章 作業と規律

幸福な生活とは、自分に合った労働(目的を持った活動)をすることである。自由は個性の発達のためにあり、規律は個人と社会の利益のためにある。子どもの勉強の負担を少なくしても疲れる原因は、適していない仕事をしているせいか、または、時ならぬ妨害があるせいである。子どもの家では、仕事(注:モンテは子どもの自発的なあそびの活動を仕事と呼んだ)をするほど子どもは落ち着いている。なぜなら、適切な条件(食物・空気・日光)のもとで、年齢と能力に適する教材と環境があるから。仕事は、成長・発達・能率・幸福に不可欠である。

子どもの家のよい規律は自由の結果である。子どもは、自由と教材と環境があれば、仕事を熱望し、そこに規律が生まれる。

*規律がない場所には、自由の欠如があるのではないか、とも述べています。これが社会でも同じ仕組みかどうかはペンディングなのですが、子どもに中にある従おうとする衝動を育てるべきだ、とは述べています。

第21章 モンテッソーリの「子どもの家」

子どもの家の設備や道具は、子どもの年齢や大きさに適しており、自己活動と自発的発達が起こる。子どもの家での原理は、まず、健康と衛生、そして、自然物との直接的接触である。

初期の子どもの訓練は、感覚訓練と、日常生活訓練がある。知識の全ての要素は五感の感覚から入ってくる。用意すべきは、観察されるべきものを、自発的に観察するようになるよう、精神を導く環境と、観察の誤りを防ぐ諸条件である。訓練は、科学だけでなく、芸術や生活においても重要である。これらの訓練は、包括的・直接的に、実物を用いてなされる。

モンテッソーリ教育は、子どもによる観察と発見が重要である。言葉を通してではなく、物を通してする教育である。また、発達的要求についての知識に基づいている。これらは古い教育(教師による教授と学習者による学習)とは違っている。

モンテ教育自体が、観察と発見によって展開してきた。このとき基準になるのは、子どもの利益と社会の要求である。本書に述べてきた原理は、方法を検討するための助けとなるだろう。

*教育に環境を利用する、というのが、モンテ教育の最大の強みだと思います。つまり、子どもの周囲のあらゆることを工夫&利用することができるということです。認知科学的側面からの環境デザイン論が流行ったことがありましたが、子どもの教育に特化した研究をすすめるとしたら、モンテを大プッシュしますね。

内容は以上です。

読みにくい記事ですみません。あくまでも自分用のメモなんですが、モンテに興味のある人にも読んでもらえたらいいかなと思ってアップしてみました。ぜひ元本にも当たって下さい。