テキストを親子で共有するということ2009/10/17 06:55

前記事からのつながりで

「テキストを共有するということ」

について、もう少し書いてみます。

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自分の中でも、広がる方向がいくつもあって、とりあえず整理してみると、

1.テキストとして利用しやすいと思ったものと、その特徴

2.親子間・世代間コミュニケーションに役立つ

3.磨かれたテキストは、理解の道具となる

と、こんな感じでしょうか。

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1.テキストとして利用しやすいと思ったものと、その特徴

あくまでも、個人的経験にもとづく判断です。本来はあらゆるものがテキストになりうると思います。

幼児教育という視点から、テキストにしやすいと感じたものは、絵本の読み聞かせと、わらべうたです。

…そもそもテキストってなんじゃらほい?と尋ねられると、なかなか答えにくいのですが、「言語形式の文化的な共有財産」とでも言いましょうか。以下を読んで下されば、なんとなくわかるのではないかと思います。

まずは、絵本。選び方や利用方法にも、いろいろなやり方があると思います。エルの場合は、新しいものよりも、慣れ親しんだものから多く・深く吸収するタイプだと感じたので、数を厳選して、とにかくそれをくり返し使い回しました。とはいっても、絵本だけでも手元にざっと200冊くらいはありますが(^-^; エルが全てを気に入ったわけではありません。実質は50冊程度でしょうか。おすすめリストを作成しようしようと思いつつ、まだ部分的にしか紹介していませんね。…いつかきっと(苦笑)。しかし本当にオーソドックスなものばかりなので、私が紹介しなくても、みなさんしばしば目にしていると思います。

具体的な利用方法としては、寝る前に読み聞かせることが中心でした。読み聞かせをするときに気をつけていた点については、長くなるのでまたこれも後日(って、こればっかりですみません(^-^;)。

絵本の内容は、最初は物語絵本がほとんどでしたが、3才くらいからは、図鑑(科学)絵本もずいぶん増えました(エルの好みに合わせて)。

エルを見ていた印象では、直接的な知識よりも、現実をよく反映している物語の一部などのほうが、生活中で引用されて、発展していったような気がします。絵本の中で子どもなりに「?」や「!」と思ったことが、別の場面でふと現れ、解決したいと感じるようです。

これに対して、図鑑のほうは、事実の再認、知識の確認、という段階で終わることが多かった印象があります(もちろん発展することもありましたが、いくぶん、私の方で誘導していた感がなきにしもあらずではあります)。

子どもには、物語を好む子どもと、図鑑を好む子どもがいる、という分類もありますので、そのへんは、目の前の子どもによって大きく変わってくるところだと思います。

わらべうたのほうですが、こちらはとにかく「赤ちゃんが生まれたら一緒に歌いたい!」とはりきって、妊娠中からCDを買いました。でも、実際に聞いたのは、エルが生まれてからです。公文式の童謡カード(CD付き)の1,2,3集を買いました。選択理由は「選曲が基本的かつ網羅的」だったからです。(ちなみに、カードのほうは、CDほどは利用していません。カードについても後日ぜひ)曲目リストを見てもらえばわかりますが、アナクロです(いや、伝統的な正当派ばかりです)。しーかーしー、

古くからある童謡ほど、日本語のリズムがメロディーに生かされている

に違いないのです。

たとえば、「うさぎとかめ」の、すばらしい日本語リズムをご存じでしょうか?

もしもしかめよ かめさんよ

せかいのうちで おまえほど

あゆみののろい ものはない

どうしてそんなに のろいのか

見事な七・五調であります!「ももたろう」や「うらしまたろう」も、指折り数えると、七と五の連続です。言わずもがな、俳句や短歌と同じDNAを持っているというわけです。この三曲は、寝付かせるときや、落ち着かせたいとき、くしゃくしゃしているときなどに、おんぶやだっこでよく歌いました。程よく長いから、飽きない。物語なので、歌詞が覚えやすい。そしてこの、寄せては返す、日本語リズム。もうこれは癒し系とまで呼んでもいいんじゃないかと。ぐずる子どもを抱えて歌い続ける、疲れた母を癒すリズム(笑)

もちろん、テレビで流れる最新の童謡もたくさん歌いましたが、エルの時の歌をジェイに歌おうとしても、もうほとんど忘れています(^-^; 記憶力の問題も(大いに)あるのでしょうけれど、私の脳の中では、ほぼ流行歌扱いだったようです。

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2.親子間・世代間コミュニケーションに役立つ

3.磨かれたテキストは、理解の道具となる

は、いっぺんに扱ってしまおう。古くからあるような絵本やわらべうたは、親子の間で一緒に参照できる財産になるだけではなく、世代を超えたコミュニケーションの基礎にもなります。齋藤孝がどこかの本に書いていましたが、80代の人とでも「若きウェルテルの悩み」について語り合えて驚いたということです。(実は、齋藤孝氏のテキスト論には大変影響を受けております(^ー^) )

古くからある物語や童謡は、祖父母や近所の人や託児中の共通の話題にもなるし、親戚の集まりなどで子どもが童謡を歌うと喜ばれたり(これが予想外にウケます)。

他人との間でくり返し、テキストの本質を試して磨くことで、物事を見たり考えたりするときの道具として、自由自在に使えるものとなる、というのが、私の信じるところです。(年齢が上がると、要約力やコメント力などに分化・収束していくのかもしれませんが、もっとも初期の段階では、本人主導のコミュニケーションによって、本質が現れるのではないかと。)

自分一人で気ままに楽しむのもよいものですが、テキストを共有することで得られる、心と心がピンとくる経験は、また格別です。物事の見方、プラス、コミュニケーションする快感、とでも言いましょうか。そういうやりとりを、生活の中で濃く深く追求できるのが、親子(や家族)ならではの、幸せなのかもしれませんね。

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そして、「テキストを共有していないこと」についても少々。

エルが6才になる少し前から、幼稚園(や預かり保育)で読んできた本について話してくれるようになりました。「アリババと40人の盗賊」や、「洋服を食べて穴を開けてしまう小さな虫」など。それから、幼稚園にいかにたくさん本があるかについて、興奮気味に説明してくれました。

そこで私は(少々残念に思いながらもワクワクして)思ったのです。エルは、私がそのことについて詳しく知らないということをわかった上で、知識を参照している。ということは、私も、エルが知らない知識を参照(つまり、今までよりも詳しく「教える」ということ)してもいいんだな、と。

すると、私の手持ちの知識が足りないことに気づき、あれこれと本を読みあさり始めたのが、現在です。げに子育ても、学びの場なり。


↓書き始めると止まらないものですね(^-^; 毎度読みにくくてすみません。

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