10のまとまり(6才の数概念)2009/11/01 21:11

お風呂の中で、エルが突然

「ねぇ、50たす50は?」

と聞くので、

「100!」

と答えたところ、

「うん、わかった。こうやって考えるのね。あのね、まず、はじっこの0は取って、引き出しにしまって(ジェスチャー付き)」

「(笑)うんうん、しまうのね」

「それでね、5たす5は10でしょ。」

「うん」

「だから~、10が~10個で~、…ひゃく?」

「そう、100。10が10個で100。なるほど、さっきの0をちゃーんと引き出しから取り出したね!」

どうやら少しずつではありますが、10をひとまとまりとして操作することに慣れてきたようです。数列じゅずつなぎの一員としての10ではなく、特別な集合としての10。位取りという位置のルールや、限りなく続く10進法のシステムをこれひとつでがっちり支える10。この特別な10が、徐々に声や身体感覚を離れ、特定の表象(もしくは概念)として独り立ちして強化されていく過程を見ているようで、なんとも楽しいのです。

それにしても、5とか10のまとまりってすばらしいですよね♪便利だし合理的だし。毎度私があまりに感動するので、エルが「おかーさんの好きな数、知ってるよ!5と10でしょ!」とまで言うように(笑)…うん、大好き!

昨日のアルゴは2勝2敗でした。エルもなかなか論理的に手強い推理をします。主な違いは、推理の材料となる、カードに関する記憶力の部分だけかもしれない…母、記憶力に自信なし(^-^;


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物理、再入門。(母の学び直し)2009/11/03 12:08

えー今回は、便宜上「学ぶ日常」のテーマに入ってますが、

私自身の学び(直し)

でありまして…マイブームの「幼児教育」とは、えーと、いつかどこかでつながる予定ですが、いまだなお未定の内容です。

*****

ある朝(忙しいときに限ってこういう難しい質問するんだよなー(^-^;)、エルがこう言いました。

「ねぇ、もし時間が止まったら、走っていたのが、こうやってこのまま止まっちゃうの?(と今にも倒れそうな前傾姿勢で止まってポーズ)」

「うーん、そうだねぇ、時間は空間と同じものだっていうしねぇ…(ここからは完全に私一人の世界へGO !)」

そのときたまたま出勤前だっただんなさん@理系をつかまえて(たぶん彼も「忙しいときに限って面倒なこと聞くんだよなー」と思ったことでしょう(^-^;)

「あのさ、エルがね、時間が止まったら動きも止まるかって聞くんだけど、時間が止まるってことは…ビブンなの?(←実は意味がよく分かっていない)」

「いや、微分ではないよ」

「そしたら、関係式のぱらめーたー(←これも実はよく分かっていない)の一つがゼロになるから、答えもゼロになるってこと?」

「…まぁそんな感じじゃないの(そっけない)」

ふーーーん。

*****

イマイチ釈然としないまま、気づけばこんな思い出が頭の中でぐるぐると。

高校時代、必修だった物理は、常に赤点すれすれか、または赤点そのものでありました。しかしなぜか、物理自体は嫌いではありません。一つの完成した世界観はゆるぎなくカッコイイものだと、憧れのような印象を持っています。

苦手だったのに、なぜ?…思いあたるのは、高校時代の物理教師についてよーく覚えていること、それは彼がしばしば口ずさんだ歌;

♪えーむ、えーい、えーふ♪(←ドミソの音階で)

というもの…今となってはこの m や f が何を表していたのかすら覚えていませんが、このドミソの歌はだけ覚えています。あとまぁ、これが何か大事な公式だというのも(付記:今調べたら、ma = F という、ニュートン力学における加速度の公式のようです)。さらに彼は、歌に付け加えて、きまってこう言いました…「ドミソで覚えると、べーんりっ♪」…(^-^;; そこから得た印象は;

物理の世界は、えーむ、えーい、えーふ、なり!

というお気楽さ。これはかなり強力です。物理恐るるに足らず。あのときはよく分からなかったけれど、少なくとも嫌いにはならず、興味は残っているという点で、ちょっぴり感謝してみました。(高校時代は変なの~と笑っちゃってすみませんでした>O先生)

現在、私がエルと一緒に経験していることも、こんな風に、楽しい印象としてどこかに残ったらいいなぁ、という思いも、チラリと脳裏をかすめます。モンテの言う「種まき」や、齋藤孝の言う「宝石を身体に埋める作業」のように。記憶と一緒に、なんだか愉快な気持ちもくっつけて。

これはきっと、私自身の学び直しのよい機会に違いない!とばかりに、早速アマゾンで、子ども(=現在の私&将来のエルのレベル)でもわかる物理の本はないかな~と探しているうちに気づいたのは、いや、物理じゃなくて、時間と空間の関係っていったら、例のアレだよアレ、ほら、

相対性理論

ってやつ?うひゃー!一体そこまで本当にたどり着けるのか?いやいや、かの齋藤孝も、まずは自信を持たせるために、小学生にシェイクスピアや夏目漱石を読ませているではないか。物理っていったら相対性理論だよねーやっぱり(何がやっぱりなんだか分からないけれど)。

で、選んだのがこの1冊;

アトム博士の相対性理論

であります。いきなりマンガです。しかも手塚治虫がまんが監修であります。評判も上々。これを早速注文して、こっそり読んでいつかエルに説明しようと、私の作業スペースの隅に置きつつ、時々ぱらぱらと眺めていました。

目ざといエルは、寝る前にさっさとこれを寝室へ持っていき、「今日はこれ読んで!」と言い張ります。…えー、字も多いし、せりふも説明的だし、用語は難解だし、こんなの読んでもおもしろくないよー、と言っても、おかまいなし。仕方なく、「ママはね、自分がこれを読んで勉強しようとおもって買ったのね。でもまだあんまり読んでないし分かってないから、質問禁止ね。いい?」と前置きして、最初の章(0~3次元の説明と、4次元への展開)から読み始めてみたところ…5ページもしないうちに寝ました(笑)お、これはラッキー。

こんなことが数日続き、私はいつもより少し早い時間から幸せな読書のひとときを過ごしたのですが、なるほど、順を追って丁寧に書いてあり、マンガだけに図解もたっぷりで、なんとかかんとか、アウトラインだけは納得しました(たぶん)。実は、場面を限定した「特殊」相対性理論は、それほど難解ではありません。階段を一つずつ確実に昇っていけば、ちゃんとたどり着けます。理解困難とされているのは、いろいろな場面で展開する「一般」相対性理論のほうなんですね。きっとこちらはワープでもしないとたどり着けないんだろうなーと勝手に想像。もちろん、この本ではより簡単な「特殊」のほうを扱っております(続巻では果敢に「一般」のほうを扱っているようですが…そこまではいいや(^-^;)

読んでいて、特に大切なのは、まず以下の2点を、キモにしみ入るまで納得することだと感じました;

・原因と結果が入れ替わることはありえない

・光の速さは「常に」秒速約30万キロメートルである

ここをゆるぎない基礎として、そこから先の説明は、本を読んでいただくことにして(要約すらできない理解レベルなので(^-^;)、とにかく、この論理の積み重ねは(ほんのアウトラインだけだとしても)美しいとしか言いようのない完璧さでありました。常識にとらわれず、経験や実験をもとに論理を展開していく手法の可能性は、まぶしいばかりの道のりに見えます。最初に切り開くのは、真っ暗な茨の道だったのでしょうけれど、よく整備された道をお気軽に追体験するのでさえ、ワクワクします。

これまでなにかと、近代科学なんてララーラーララララーラー♪(意味不明(^-^;)と小林秀雄風味に思ってしまいがちな私だったのですが、科学のもつ世界観というのは、ひとえに「楽しい」のだなぁということに改めて気づきました。しかしまぁ、ちょっぴり理解したからといって、その世界にどっぷり浸かりたいか?と問われれば、それは遠慮したい感じなのですが。勉強ってそういうものですよね。まずは、いろんなことを知ったり理解したりする、その中で、自分の好きなものを見つけて進んでいく。好きなことをより広げていくために、他の知識も利用する。知ったり理解したり、というのは、自己実現の第一歩であるかもしれないけれど、最終目標ではないはずです。

さーて、これからエルに何か説明しなければいけないのですが…(^-^; 「もう少しして、エルが自分でこのマンガを読めばわかるよ、ということがママには分かった」というのでは、ダメ?(笑)


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バッグに夢中(1才8ヶ月の「お仕事」)2009/11/04 12:50

久々に、ジェイ登場~♪

1才9ヶ月が目前のジェイですが、このところ、「描く」敏感期から、「物を入れる」敏感期へと移ってきたようです。

バッグに、自分の気に入ったおもちゃをいっぱい詰め込んで、それを持って得意げに「ばいばーい」と旅に出て、家中をうろうろしてます(最近、階段昇るの速いんだよなー(^-^; 目がはなせない…)。みんながカバンに必要な物を入れてお出かけする行動@ジェイなりの解釈バージョン、といったところでしょうか。

そこで、私とエルの不良在庫だったバッグやらポーチを大放出し、さらに、たくさんある各種エコバッグや、お店でもらう紙袋、はてはレジ袋までが、手の届く範囲に転がっておりまして、ジェイはその時目に付いた「入れ物」に、なんでもかんでも入れようとします。

問題は、バッグよりも入れたい物が大きい時。また、バッグをうまく開けたままにできず、なかなか物が入れられない時。そんな時は、しばらくあれこれ試していますが、次第に「うー!」とじれてきます。

そばにいるのが私の場合、横目でこっそり観察しつつ、ジェイが明らかに「んままー!」と私を呼ぶか、近くまで来て手をつかんで引っぱっていくか、バッグと入れたい物を持ってくるか、つまりジェイが明らかに私を必要とする意思表示をするまでは、静かに待っています(いや、他のことを片付けてます(^-^;)。

このジェイの「うー!」状態を見ると、エルや祖父母は「どうしたの?それ、入れたいの?」とそばへ行き、

ジェイの代わりに物を入れてあげたり(エルに多いパターン)、

控えめに袋を開けるのを手伝ったり(祖母や父に多い)、

「それは入らないよ」と説得したり(祖父に多い)

します。この反応の違いをどう感じるかで、育児に対して持つ印象ががらっと変わってくるように思えますが、あくまでもテキトーでお気楽な私の場合;

ま、その人ごとに、反応が違うとわかるから、いいか!

と、なるべくありのままを受け入れつつ、ジェイにとってプラスにはたらく側面を見るようにしています。

まぁ本音を言えば、「ジェイがお仕事を始めて、自分で試したり工夫したりしているときには、なるべくじゃまをしないでやらせてあげたいなー」と思うのもやまやまなんですが。

しかし一方で、自分が「うー!」と困っているときに、スーパーマンが現れて、さっと事態を解決、または、いい方向に持っていってくれることがある、少なくとも、自分の行動に対して誰かが反応してくれる、という経験は、人と関わる社会生活の中で、とても大きなプラスの方向にはたらくものだとも思うのです。

というわけで、お仕事byモンテ、の方針も、基本としては据えつつ、運用は柔軟にやるのが、全体のバランスとしてはいいんじゃないかと、日々ほどほどで暮らしております。

このバランス感覚、というのがポイントで、エルくらいの年齢になると、大人が何を言うか、よりも、何をやるか、を見ているようになるので(ある意味コワイ(^-^;;)、正しいことを説くよりも、自分自身がどうやって日常をやりくりしているのか、危機管理をしているのか、というような、ありのままの姿を見せるほうが、役に立つかもしれない?という気もするのです。いや、正確に言うと、私にはそれしかできないなー、というところです。

話がそれましたが、時々、ジェイのお仕事のお手伝いを進んでやってくれたエルに、こんな風に話すことがあります。

「ジェイちゃんはね、今、かばんより大きな物は入らないんだーって、実験しているところなんだよ。エルや大人にとっては、見ただけで無理だってすぐにわかるよね?でも、ジェイは見ただけではまだわからないし、やってみて初めてダメだってわかるのね。そうやって、本当に自分でやってみたことって、案外忘れないよね」

こんな感じのことを、祖父母も一緒の食卓などで、ゆっくりとエルに話すので、これは私の基本方針についての所信表明演説のようなものであります(笑)それを静かに受け入れてくれる祖父母(私にとっては義両親ですね)にも日々感謝しています。また、その方針を知った上で、祖父母自身が実際に孫とどうかかわっていくのかは、それぞれの責任において自由である、というのも、基本方針の一つです。

と、ジェイの話から、生活の知恵みたいになってしまいましたが…子どもの学びを支えるのは、快適な日常生活である、ということで。あ、私にとってもね(^ー^)


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