モンテッソーリ本人が著の、一番人気?2009/10/13 11:12

図書館から借りていた

「モンテッソーリの教育 0歳~六歳まで」(Education For A New World)、M.モンテッソーリ著、吉本二郎・林信二郎訳、あすなろ書房、1994。

なんですが、返却期限が迫ってきました。ので、とりあえずひとまとめ。

一言でまとめちゃうと、実例(特にネガティブな方向の例)と観察の詳細がてんこもりです。その分、モンテの思想体系としてはいくぶんつかみにくいかもしれないです(^-^;

「…0歳~6歳まで」は、手に入れやすいモンテ自身の著作の中では一番人気のようですが、これよりは、後発の「モンテッソーリの教育 子どもの発達と可能性」(以前の記事で紹介済み)のほうがいくぶん網羅的なので、相対的には後者をオススメします。

この本は2度通読しましたが、その問題意識を抱えつつ、解説を読んだら、なーんだ、まぁその通りじゃん、と、なんだかストンと納得してしまった感じでした。だから、まとめる熱意がイマイチかもしれません(^-^;

というわけで、非常に簡単なまとめと感想(*以下)など。

第1章 序文 子どもに託す夢

子どもの教育は誕生から始まっている。最初の2年間は、大人と大きく違っている。

第2章 モンテッソーリ法の発見と発展

子どもの家では、4歳で読み書きができるようになった。みぞを彫った板を利用した。話し言葉が、敏感期をむかえた書き言葉に結びついた。

数学には3つの側面がある。物・抽象・代数である。これらをまとめて扱ったところ、4歳でも様々な計算をするようになった。敏感期の作業に疲労は見られない。

第3章 吸収精神のすばらしい力

発達段階に分けると、

0~3歳 大人は近づけない

3~6歳 精神的実在に近づくことが可能

6~12歳 成長はあるが、大きな変化はなし。道徳を知る

12~18歳 理想にめざめる

子どもの激しい吸収力は、大人になると、意識性の目覚めと共に消えてしまう。

第4章 胎内で発芽する子どもの生命

胎児の器官の発達は敏感気を持っている。器官が結合することによって生命となる。精神でも同様の現象が見られる。これまで母性愛と呼ばれたものに対しても、科学の視点で支えることが必要。

第5章 潜在的能力を伸ばす条件

視神経中枢は、視神経そのものや目よりも先にできる。つまり、精神(本能)は肉体に先行するのである。このような新しい考え方は行動主義と呼ばれ、これまでの環境適応的理論とは異なる。

新生児は無力で生まれてくるが、まさにそのことが、様々な生活環境に適応するためには役立っているのである。

第6章 誕生からの教育

生命の最初の活動は、環境からの印象を(見たりはたらきかけたりして)蓄えることである。これは、人生最大の精神的活動であり、行動に向けての本能をよびさます。2年目になると、身体や動作はほぼ完成する。ことばの獲得や歩くことは、自由や独立への衝動である。

第7章 ことばの神秘

ことばは、人々が一致したり文化を築いたりする基礎である。母国語は3歳以下でほぼ習得されるが、2歳半頃、突然の成長(ことばの爆発)が起こる。

言語のための中枢は、聞くものと作る(話す)ものの2つがあるが、聞く方の中枢は、敏感期に、ことばの入力を受け付けて形成される。

4ヶ月で喃語を話し、10ヶ月になると、ことばに意味があることを知っている。1歳では声の響きと意図を結びつけるようになる。1歳半になると、ものには名前があるとわかっている。大人は幼児語でなく、正しいことばで話すのがよい。

*当時は赤ちゃん=わからない=幼児語が普通だったのですね。今ではわりと普通に話しかけている親のほうが多く感じます。むしろ、正確なことばに対して神経を使っているんじゃないかと思われる場合も(^-^;

第8章 知性は運動を通して発達する

運動は、思考のサイクルを完成する最後の過程である。精神の発達は運動に依存している。大人は意志を持って練習することによって習得する。人間の足は生物学的発達に依存しているが、手は無限のことができるため、知性を発達させる。話すことは聞くことと、運動は見ることと結びついている。

第9章 自発的活動の開始ー1歳半ー

1歳半になると、手と足が連動するため、最大努力を払うことや、歩くことが大事になってくる。模倣自体よりも、その準備がされていることが必要。仕事は最後までやりとげ、活動のサイクルを完成することが重要。2歳児における散歩は、何か目的があるというよりは、活動のための活動である。この年齢の子どもを大人に従わすようにすると、将来、自由の権利を行使できなくなるだろう。

*最後の一文はちょっと飛躍してますが(^-^; つまり、あくまでも自発的活動を中心として、従順に大人に従わせようとする意図をムリヤリに押しつけるのはよくないということです。このような抑圧が後に与える影響については、随所にたっぷりとコワーい記述があります(笑)が、このまとめではさっくり省略してみました。

第10章 幸福な遊びの時期ー3歳ー

3歳になると、意識と記憶がはっきりする。それ以前の能力を使って、環境に働きかけることで発達する年齢である。ことばは4歳半でほぼ完成する。生活経験を模倣し、大人の世界に適合しようとする。適切な環境や教材が必要。敏感期の活動の遂行に疲労はない。精神と身体は一つなので、手を使って考えたり、歩き回って考えたりする。教師は背景となり、親はじゃまをしないことが大事。

第11章 人間精神の発見ー3歳から6歳ー

子どもの家で、書きことばの爆発が観察された。その後の観察によって、自身の活動による場合のみ、早い年齢で文化獲得がなされることがわかった。また、性格の発達も早い年齢から起こる。

ことばへの敏感さは5歳半~6歳で消失するが、3歳でも文法や科学的単語を覚えられる。

対象に制限されない想像力が大事。単語や地球儀などからイメージを作る。おとぎ話などの空想ではない。

質問に対しては、必要なだけを完結に答える。論理ではない。実例的な物の助けを借りるとよい。

性格の発達は、3歳までに獲得された欠陥部分を、6歳までに直す。

*最後の文は、示唆に富んでいますが、それをどこまで拡張して解釈してよいのかは、慎重に吟味すべき課題かと思います。幼児期の抑圧理論の影響を差し引いてみることも視野に入れつつ。しかしながら、6歳頃までに、道徳意識の基礎を形成しておくことが、大事なことには違いありません。

第12章 しつけの化け物

善と悪はまだよく判断できない。活動は、自発と作業が目的である。 規律正しさは自由が与えられることによって得られる。

6~12歳で良心に目覚め、正誤に関心を持つので、道徳を利用できる。

12~18歳では、宗教や愛国心などの理想に目覚める。

結合(従順)は、共感ではなく、意志に基づく。従順さの発達は、作業能力の発達→自動的に従う→よろこんで従う、の段階を経る。

第13章 モンテッソーリの教師

教師の発達段階は以下の3つ 1.環境を利用し、整える。 2.活動力を引き出す。 3.興味を出したら、背景に下がる。

内容は以上です。

…実はもう1冊まとめていないのがあるんだよな~(^-^; 「児童期から思春期へ」という本です。いわば、12歳から18歳編ですね。


↓サイバーひとり読書会、実施中。そうだ、モンテに聞いてみよう(笑)

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計算に潜む、記憶の壁(6才の計算手続き)2009/10/13 22:06

エル6才にして、計算をやるようになりました(^-^;

100まではなんとか数えられ、10までの計算もなんとなくはできるようになってきた、先日、ふいに

「1たす1は2でしょ、2たす2は4でしょ、4たす4は8でしょ…」

などと言い始め、8たす8でぐずぐずし始めました。

「ママ~、手伝って~!」

そこで、チャンスとばかりに、以前よりやりたかった「ハイタッチ算数」を導入っ!

「まず、エルが8を作って、次に、ママが8を作って、ハイ!パーになった手と手を合わせて(パチン!)、10ができました~おめでとう~♪」

「10と…6、16だ!」

エルはにっこり。

「次は~、16たす16!」

まだやるんかい(^-^; と思いつつ、おもしろいので観察続行。

「えーと、えーと、16ってどうやって足すの?」

「うーん、そうだねぇ、まず、10と6に分けてみたら?」

「うん、まず~10と6に~分けるでしょ~、10たす10は~20」

「うんうん」

「6たす6は~?」

「じゃ、またやってみようか、エルが6を作って、ママが6を作って、はいパチン。いくつになった?」

「10…2、12になった」

「そうだね、じゃ、全部でいくつ?」

「うーん、うーん、忘れちゃった。問題なんだっけ?あ、16たす16か。まず~10と6に分けるでしょ~(←また一番最初から始める)」

…とまぁ、こんな感じだったんですが。

*****

式で追うと、

16 + 16

= ( 10 + 6 ) + ( 10 + 6 )

= ( 10 + 10 ) + ( 6 + 6 )

= ( 20 ) + ( 12 )

の先に、越えられない壁があるようです。 ハハ的には、

= ( 20 ) + ( 10 + 2 )

= ( 20 + 10 ) + 2

= 32

と、さくっといきたいところなのですが…。しかし、子どものつまずきは、認知を知る重要な手がかり(ラッキー!)なので、これについて、しばし考えてみました。

*****

ここで利用できそうなモデルは、ワーキングメモリという、記憶のモデルです。

ワーキングメモリには、音韻ループという、音声情報を格納するシステムと、視空間スケッチパッドという、視覚・空間的情報を格納するシステムがあり、中央制御系が両システムの統合と管理を行います。

後からできた12を、10と2に分解する、というのが難しい理由について、次のような仮説を立てました。

「計算中の数は視覚・空間的情報として格納され、計算が終わった答えは音声情報として格納される。」

つまり、後からできた12は、「じゅうに」となってしまい、その後で再度、分解して計算の対象にするには、負荷が大きかった、ということです。

計算が視覚・空間的情報として扱われるという推測は、指を使って数え上げをするときのようすとも一致します。

数え上げをするときは、1を人さし指、2を人さし指+中指、という表し方(「基数的」(=量的な)表現)はしません。両方の手のひらを自分の方に向け、左手の親指→人さし指→中指→薬指→小指→右手の小指→薬指→中指→人さし指→親指、というふうに、左から右へと順に使っていくのです。この左から右への使い方は、身体感覚を利用した「序数的」(=順序的な)表現ではないかと思うのです。

この

音声→基数

視覚・空間(+ 身体感覚)→序数

というグループ分けとそのやりとりは、くり上がりの他にも、文章題の難しさを説明するポイントになりそうで、ワクワクしております。

長くなりましたので、とりあえず、今日はここまで~(^◇^;)


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