数え上げからメモの発見(6才の計算の工夫) ― 2009/10/19 11:12
先日は、答えが等比たし算(と仮に命名;もっとよい呼び方がありそう)
1 + 1= 2 , 2 + 2 = 4 , 4 + 4 = 8 , 8 + 8 = 16 , 16 + 16 = ?
で散々苦労したエルですが、こりずに今度は、答えが等差たし算
1 + 1 = 2 , 2 + 2 = 4 , 3 + 3 = 6 , 4 + 4 = 8 , 5 + 5 = 10 , …
を始めました。1けたものはスッと正解。2けたものも、10の位と1の位に分けて、まぁまぁなんとか。で、お察しの通り、またしても、16 + 16 = ? で、てこずっているわけです。
何回か挑戦するうちに、先日と同じ、
16 + 16
= ( 10 + 6 ) + ( 10 + 6 )
= ( 10 + 10 ) + ( 6 + 6 )
= ( 20 ) + ( 12 )
まで来ました。
エル「6たす6は12でしょー。えーと、えーと、さっきのが20だから…」
と手を広げ、
12から20こ数え上げ始めました!そして、両手の指を2巡して、ストップ。
「さんじゅに…32!」
…ハイ、正解です。でも、そうくるかなぁ(^-^; 「12は10と2」でもなければ、「20は10が2つ」でもないのかなぁ。
ま、今のエルにとって、
・時間的順序は頑強(ほぼ絶対)である。
・短期記憶に、途中経過を保持しておき、後から参照するのすら大変。ましてや、手続きを入れ子にして使うことなんて絶対ムリ。
・たし算は、実際場面では、数え上げの手続きで表現されている。
(余談ですが、この数え上げアルゴリズムは非常に簡単なプログラムで表現できそうです。「n から始めて m 個増やして、止まった数が答え」。現在のエルの計算能力は、人工知能的表現においてはそのレベルであります(^-^; しかしエルには、身に付いた生活経験という無限の宝箱がありますから(笑)また、実際のアルゴリズムに採用されているならば、数え上げ方略バンザイです!)
というようなことが観察できたので、おもしろい現象ではありました。これをまたしばらく温めて、次にどう出現するのかが楽しみです。
*****
この等差たし算をやったとおぼしきメモを発見(しかも鏡文字バリバリ)。オリジナルは横書きなんですが、画面だと崩れるため、縦書きと…付きでその意味を表現すると、
10 4
10 5…1
10 6…2
10 7…3
10 8…4
10 9…5
(空白)…6
(空白)…7
(空白)…8
(空白)…9
と、こんな感じに書いてありました。これだと、問題は 14 + 14 ってことになってるから、すぐわかるはずなんだけどなぁ(^-^;
まず、問題の数字を間違えて思い出し、さらに、いくつまで数え上げるのかも忘れ、くり上がりで壁に当たり(10の横にもう一つ10を書かなかったのは良い)、もう面倒になったのでそのまま放置~という流れが目に見えるようなメモではあります。
しかーし、
「メモしておけば、後からでもすぐわかる」
ということに気づいたのは、大手柄であります。そうなんです、算数の問題を解くときに、どうして計算式なんかをわざわざどこかに書いて残しておくのか?それは「メモしておけば後からでもすぐわかる」、つまり、今までやったことを忘れて、別のことにアタマを使っても、すぐに思い出すことができるからなのです(フランクリン式手帳では、忘れるためにメモをとる、と明言しています)。
このメモの完成度の低さはさておき、自分が途中で思い出せないということに気づき、メモを取るという手段を「発見」して、計算を「工夫」したエルを、大いにほめておきました。これはどういう意味?そうだね、こうしておけば後からわかるよね!これは大発見だね!すばらしい!などなど。
ついでに「でもね、この数字なんだけど…」と鏡文字を指摘しようとしたら、エルはえらい勢いで
「これはね、忘れないために書いたの!数字の練習じゃないんだからね!」
と反発。はい、確かにその通りでございます(^-^; 使っている脳の部位が違いますから、両方を同時にできないというのは、まさに正論。
ほめるときはほめっぱなしにしておけ、余計なことを付け加えるな、ってやつですね。よい教訓になりました(苦笑)
こうやって、数え上げでも、メモ取りでも、思いつく限り散々苦労しておけば、学校で習う筆算というものが、まさに人類の知恵であり、いかにすばらしいものかをしみじみ堪能することができるでありましょう(って大げさな(^-^;)。観察しつつ待つのもまた、種まき前の「耕し」なのでありました。
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