よい文章題は計算問題より簡単?(6才の計算手続き)2009/11/09 15:22

まったりな当ブログにしては珍しく?キャッチー!なタイトルをつけてみました(笑)

エルは最近「ろくたすろくはじゅうに」がお気に入りです。1から順に同じ数同士を足していくときに、6 + 6 で初めてくり上がりが出てくるので、そこで毎回さんざん苦労し、結局覚えてしまったのでしょう。それも一つの便利で確実な方法であります(記憶が先で、性質の発見は後という場合も多いかもしれないですね)。

夕飯を食べている途中で(食べるのに飽きてきたらしく…)、いきなり同じ数同士のたし算を始めました。

「ろくたすろくはじゅうに!でしょ?」

「うん、12」

「12たす12は…にじゅう~よじかん!」

「(なるほど、時計の短針1周=12時間が、1日あたり2回分で24時間、と覚えたのかな?)…24じかん(笑)」

「24たす24は?」

「うーん、どうだろう、落ち着いて考えればできるよ」

「えーと、24たす24でしょ…」

「そうそう」

「えーと、えーと、いくつだっけ?にじゅうよんだっけ?え?いくつ?」

「…じゃあ、こういうのはどう?1日は24時間です。2日は何時間ですか?

「えーと、24時間だからー、20たす20は40。4たす4は8。えーと、よんじゅう…はち、じかん?」

「ピンポーン♪正解でーす!」

24という数字を頭の中に保つのが難しかったようなので、1日=24時間、という意味のあるつながりを利用して、短期記憶につなぎ止めておいた、というような感じでしょうか。

この、意味の側面は、うまくすると、狙い通りの方向へ進みますが、そうでない方向もあるよという、興味深い観察が、ちょうど抹茶母さんのブログの11月7日の記事にありました(暗黙の前提に気づいて、おかしい部分を明らかに説明できるのはすごい!しかも、その条件を可能にするような他のものを見つける問題解決は、与えられた問題を解くより難しいと思います)。

「文脈」ということばを、これまでも使ってきたのですが、これは「内容を理解するときに、背景となっている流れ」というような意味です(イマドキの「空気を読む」というのも一種の微妙な文脈理解かもしれませんね)。

文章題は、算数や国語や生活場面などの、さまざまな文脈の中に置くことができます。エルの年齢(就学前)の子どもにとっては、あそびや生活場面と結びつけることが、一番なじみやすいと思います。楽しみながら慣れることや、実際に経験できるという可能性は、生き生きとした意味や価値を呼び、数の有用性に触れる、よい機会になることでしょう。

一方で、算数として洗練されていない(抽象化されていない)文脈は、さまざまなバリエーションの解き方や答えを引き出す原因にもなります。以前、家族が勉強を教える場合、生活という文脈が、正誤を明らかにして間違いを訂正することを難しくする、という私の仮説を述べました。文脈という点から見ると、学校や塾に「行って」勉強する、というのは、場の持つ教育力も利用した、便利なやり方なのかもしれません。(もちろん家庭でも、時間や空間を区切ってふさわしい「場」を作ることは、十分に可能だと思います。)

生活という文脈は、日常場面を使った算数あそびの一つの限界でもあり、また、切実さ(=意味や価値)をもって数やことばを獲得し、生活経験に根っこを張っていくためのよい訓練でもあるという、両方の側面をもっているのでしょう。

小学校に入って教科教育が始まると、生活文脈の文章題は、だんだんと利用しにくくなりそうです。それまでの間を、親子で楽しく過ごせたらいいなと、今は思っています。


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