折り紙あそび(1才9ヶ月&6才) ― 2009/11/19 17:30

ブログ村・幼児教育カテゴリーのカリスマブログ、なおみ先生の「虹色教室通信」11月18日の記事を見て、「これは楽しそう!」とばかりに、インフルエンザ対策で家にいるエルとジェイも巻き込んでやってみました。一言で言うと、紙の洗濯物干しあそびです♪
用意したのは、1メートルくらいの麻ひもを低い高さで渡したもの、折り紙、洗濯ばさみ、などです。
まず私が、折り紙を半分にちぎって、半分に折り、ひもにぶらさげて、洗濯ばさみで止めました。ひもの位置で止めると、くるりんと逆さまになってしまったので、そのままの逆さまバージョンと、洗濯物の下で止めるバージョンの、両方を作って見せました。
ジェイが早速寄ってきて、折り紙をくしゃくしゃと丸め、ひもに乗せてから、なんとかかんとか広げて、しわだらけのシーツを干すみたいに、無造作にぶら下げました。洗濯ばさみは、まだ握力がなくてうまく使えないようです。2枚ほど干すと、洗濯ばさみをいじったりして、別のことを始めてしまいました。
エルは、折り紙を2つに折ってから、お気に入りのスカートや、自分でデザインしたワンピースなどを、鉛筆で描いてはさみで切り取り、どんどんひもにぶら下げていきました。
これが楽しかったのか、エルは翌日も朝から、小さな洋服作りをしています。箱にひもを渡し、ゼムクリップで作った針金ハンガー(最初、折り紙でハンガーを作ろうと、一緒にあれこれ苦心しましたが、結局私がペンチを使って作りました)に、折り紙でできた洋服を次々とかけています。この小さな箱は「シフォンちゃん(先日作ったもの。折り紙を丸めたパーツで作った、テディベアのようなアニメのキャラクター)のお部屋」なんだそうです。
エルはお人形あそびをあまりしなかった子なのですが、元々好きだった、折り紙あそび(折るのも切るのも絵を描くのも…)を基礎として、最近は、いろいろな意味をもつ活動に広がっているようです。技術が思考を制約している部分、また、技術によって思考が広がる部分、その両方があると思います。とりあえず手持ちの得意な技を使って、自分なりの現実を切り取っているのかもしれません。
エルは(私もですが)理屈っぽくて、イマジネーションにどっぷり浸るというよりは、「これはどうしてこうなっているのか?」というようなことを、考えたり知ったり、冗談にしたりして楽しむタイプです。図鑑型と物語型に分けるとすると、図鑑型のほうですね。
遊び方も、同じものを何度もくり返し作って(年少の夏休みにハートを折り始めたときは、いろんな別の折り方を工夫したりして、1ヶ月以上かけて紙袋がいっぱいになりました)、一通り満足すると、全く別のことを始めるというように、まさにモンテの「敏感期」の典型であります。
それがだんだん(5才後半くらいからでしょうか)、たっぷり2日間かけて一つの絵を細部にわたって描いたり(マンガのキャラクターですが(^-^;)、何日か続けて一つのフェルトのマスコットを作ったり、一つの流れをもった活動の中で、小さな目標を段階的にクリアしていくことにも慣れてきたようです。
これまで、あそびの「展開」という点で、イマイチうまくつなげない感じがしていて、例えば、折り紙作品をたくさん折ったから、貼り絵にしよう♪と提案して、大きな紙にぺたぺた貼って背景を描いてみても、エルはあまり関心も見せず、まぁいいか…と思ったというようなことが何度もありました。(そういえば、お店やさんごっこの品物を作ろう、というのは割と成功した気が。)たぶんエルはその時、出来上がった作品そのものへの興味よりも、自分が実際にそれを作れるという活動自体が楽しくて、没頭していたのでしょうね。このへんも、モンテの「活動のための活動」というようなことばを思い出します。
ある活動に十分慣れて認知負荷が低くなると、そこで初めて、その活動を外側から評価する段階に進めるのでしょう。しかしその頃には、すでに飽きて興味も薄くなっていたりするわけで(笑)
さて、洋服が一通りそろったところで、エルはシフォンちゃんのお部屋を作ることに決めたようです。「部屋といえば何かなぁ?」と聞くので「うーん、椅子」と答えたら、折り紙で椅子を折ると言い出しました。いままでは敬遠していた、説明図が少ない厚めの折り紙の本を出してくると、一人がけソファーのような椅子(やっこさんの変形)を2つとテーブルを折りました。最初の箱の「部屋」より、一回り大きな段ボールの「おうち」の中に作った物を収めて、今日は終わりみたいです。…これがジェイに見つからないことを祈る(^-^;
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