大きな?誤解(童謡あそび) ― 2009/11/05 10:16

エルが歌いながら描いていた絵。
「お~きな栗の~、木の下でっ♪」
…違うって!
大きいのは、栗じゃなくて、栗の木でしょうが!
それって危険すぎ!
あなたとわたし~って、仲よく遊んでる場合じゃないぞっ!
と矢継ぎ早に突っ込んだら、背骨がぐにゃぐにゃになるまで笑い転げてました。
これも、共通するテキストの利用法?
…お粗末でした~(^-^;
ランキング参加中♪ってこんなネタですみません(^-^;;
数モノ、小ネタ集(6才の数概念) ― 2009/11/06 11:39
最近のエルと数の様子をいくつかメモです。
そのまなざしが大好きで、このところ足繁くおじゃましている、抹茶母さんの「働く母の、徒然育児日記」や、まはーるさんの「ホッペとマユで福笑い★幸せな学びの時間。」の各(人気!)ブログの記事を思い出すような、楽しい現象が次々とみつかりました♪ちなみに、抹茶ちゃんもほっぺちゃんも、エルより年齢は一つ少ないのですが、エルは成長が月齢よりややゆっくりめのようなので、まさにタイムリー(か、むしろちょっと先行)なお役立ち情報なのです!
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【お風呂で数唱、100まで完成】
(ようやく…)途中で間違えずに、確実に100まで数えられるようになりました。
エルがお風呂から上がる前に、いつもは20をいろいろな風に(たとえば、逆順、エルと私が交代で、1つとばし、などなど。アレンジはだいたいエルが考えます)数えるのですが、そろそろ寒くなってきたせいか、「今日は100まで!」と宣言して、淡々と数えてました。10の位が変わるところも、危なげなくクリアしているのを聞いて、母的にはちょっとホッとしました(笑)ま、いつかはできるようになることなんですがね。
*****
【100だまそろばんは、楽器か計算機か?】
おもちゃ箱から100だまそろばんを出してきて、いつものごとくじゃらじゃらとならしていたので、いい機会かなーと思い、試しに
「あのね、それを使うと、100までの計算ができるんだよ。それ実は、計算機なの」
と言ってみました。エルは「ふーん」といいながら、じゃらじゃらを続行。しばらくして、ふと、
「あ、わかった、これ、1列が10個なんだね」
「そう、10個。…でね、ママがどうしてこれを選んだかわかる?」
「わかんない」
「1列が10個で、さらにそれが2色になってるでしょ(HABAそろばんです)。1色ぶんはいくつ?」
「…えーっと、(目で数えて)5個」
「ほら、ママの好きな数字ばっかり。だから買ったんだ~♪」
するとエルは、じゃらじゃらをやめて、かしゃかしゃと動かし始めました。
「ほら!半分になったよ!」
見ると、各列を、色の境目で左右に分けて、半分にしています。
「おぉ~、なるほど。じゃ、その半分のかたまりはいくつ?」
「…えーっと、5が~、10個」
「…(50個って言うかなぁ、どうかなぁ、とちょっと待ちつつ、やっぱり言わなかったので)そうだね。5が10個。右も左も同じだね」
この時は、ここでおしまい。エルの現時点は、
視覚と触覚(と聴覚!)を使って、100だまそろばんの性質に慣れる段階
から
数と何か関係があるらしいぞ、と結びつける段階
へ移るあたりなのかなぁと感じました。母の思惑としては、九九を学ぶあたりまでにはぜひ慣れて欲しいかなぁ。…しかしその時になったら、すでにこんなものはいらなかったりして(^-^; ま、ジェイもいるし、楽器として使えばいいか(笑)
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【一箱のパイの実】(最初にアップしたときはチョコパイと書いてましたが、「パイの実」の間違いでした、すみません、同じロ○テ製品でよかった(^-^;)
おやつにパイの実を食べました。おいしいんだけれど、決してたくさんは入っていない、パイの実。いつものように、部屋の真ん中に小さなテーブルを置き、IKEAのプラスチックのお皿を3つと、麦茶&コップをセット。
「今日のおやつはパイの実でーす♪さて、これをみんなで同じ数ずつわけますよ~(と包装を開ける)」
「パイの実だー!余ったら、エルにちょうだーい!ちょうだーい!」
「もーしー、余ったらね。余るかどうかは、やってみないとわかんないよ」
パイの実のプラ包装は、いい感じに、一部だけを切り取って穴を開け、取り出す方式になっています。最初に全部のパイの実が見えないところがドキドキ・ワクワクのポイント。
「はい、まず3つ出しまーす。一つずつお皿に入れまーす。一回目~!」
同様に6回目までくり返すと、手探りではパイの実が完全になくなりました。少々オーバーな身振りを交えて、袋を逆さまに振ってみても、ぱらぱらとかけらしか落ちてこないことを確認してから、こう聞きました。
「さて、ここで問題でーす。パイの実は全部でいくつあったのでしょうか?」
エルは素早くそれぞれのお皿をのぞいて、同じ数(いや、本能的な見かけの量に違いない(^-^;)ずつであることをしっかり確認してから、こう言いました。
「えーと、ろくたすろくはじゅうに!(←最近覚えたお得意の計算)あとー、6個だからー、えーとー、12…(手を広げて)13,14,15,16,17,18…、じゅうはっこ~!!」
なんと、記憶検索+数え上げ、という、思わずずっこけてしまうような解き方を披露してくれました(^-^; まぁ…間違ってはいない。
その後、みんなでおいしくいただきました。途中でジェイがお腹いっぱいになったようすで席を離れたので、エルが「ちょうだーい!」と言ったら、ジェイは惜しげもなく、残っていた2つをお皿ごと「どーじょ!(どうぞ)」と渡してました。エルは「あーーーと!(ありがとう)」と、いつもより丁寧に言った後、それもぺろっと食べてしまいました。
「はい、ここでまたまた問題でーす!エルは何個食べたでしょうか?」
「6…たす2だから…8個!」
「ジェイは?」
「…4個。だって、6ひく2は4でしょ」
「お母さんは?」
「6個。そのまんまだから」
というように、最も切実な生活場面(笑)で、たし算&ひき算をしてみたわけですが、これがなかなかおもしろかったようです。その日のお風呂の中で「何か問題出して~!」と言うので、昼間パイの実を食べた様子そのままの文章題から、お友達と一緒に分ける場合の応用問題まで、一箱のパイの実をさまざまに使い回してみました。
昼間の様子そのままのほうは、計算するというよりは、情景を思い出して即解答するものが多かったです(これはエルにしては珍しいかもしれない)。ただ、お友達場面でも、3人で分けるときには、この記憶から即解答していました。「エル・ジェイ・母で分ける」というエピソード記憶から、徐々に「3人で分ける」というレベルの、意味記憶に近いほうに入っているのかもしれません。これが「3等分」もしくは「÷3の答えと余り」に抽象化するには、まだまだ遠~い道のりに感じられます。ということは、観察のネタがざっくざくですね♪
惜しいのは、パイの実1箱の18個は、同じ数ずつ分けると余りが出やすいところ(お友達と同じ数ずつ分けて、余りはジェイちゃんもしくはママ達のぶん、ということにしましたが…)。エルはパジャマを半分着ながら、座り込んで一生懸命、見えないお皿に見えないパイの実を何度も配っていました。間違った分け方をすると、私がそのお友達のキャラになり切って「え~っ!?エルちゃんまだ残ってるよ~っ!!」とか「もう分ける分が無い~どうしよう~どうしよう~」などと演じ分けたので、エルには大ウケ。だが、友達の母には見せられないな(苦笑)
次はぜひ、いろいろと分けやすい、12個入りのお菓子も見つけて試してみたいと思います♪
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齋藤孝私論、予習編(母の学び) ― 2009/11/07 12:00
またしても、私自身の学びの記事であります。
実は明日(8日)に、齋藤孝(←と毎度敬称略なのですが、大先生になると個人名すらひとつの商標名のようになってしまうということでここはひとつ…m(_ _)m)の講演を聞きに行くのです!(社)日本アロマ環境協会が主催のシンポジウム内の講演で、内容は、私の偏愛書と同じ「身体感覚を取り戻す」であります。
これは万難を排して駆けつけるしかないでしょう!
エルには「おかーさんの大好きな先生のお話を聞きに行く」と言い含め、ジェイを義母に預ける段取りをつけ、新しいおもちゃとDVDとお菓子をそれぞれに用意し、当日の昼食と夕食の準備も前日からしておき…と、準備万端整えているところです。
さて、実際に講演を聴く前に、現時点でのマイ齋藤孝論をまとめておいて、公演後と比較したらおもしろいかなーと思ったので、ここは一つ何か書いてみようかと思いました。まぁ私論といってもせいぜい、偏愛の入った概論なんですが。
彼の専門分野は、主に3つあります。有名なものを分類してみますと、
・身体論…「身体感覚を取り戻す」や、呼吸法など。
・コミュニケーション論…各種「○○力」や、テキストを共有するという点では「声に出して読みたい日本語」など。
・教育論…テキストを利用するという点では「3色ボールペン」系など。子ども向けの教育書も多数出しています。最近では、「読書」に関する本も多いです。
著作は相当数ですが、この3つの流れを押さえておくと、論理の構成がわかりやすいと思います。彼オリジナルの3要素の配合具合を味わうのも、著書の楽しみ方の一つかもしれません(と書くと、アロマっぽい扱いにも通じるかな(^ー^))。
個人的には、教育論の中で展開される、身体論的な要素がお気に入りです。「からだ全体で学ぶ」、それだけのことが、現代ではなんと難しくなっていることか!
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さて、講演会で最も楽しみにしていること、それは
・頭のコマ割り数
・テンションの高さ
・息と間
・姿勢、発声法
などが、一体どのようなものなのか、つまり、生きた「身体性」の観察であります。
以前、研修で齋藤孝の講演を聞いたという叔母は、「早口でよくしゃべる明るい人だったわよー」と言っていました。想像できるような気もしますが、よい体験は必ず予想を裏切るものであり、それは何物にも換えがたい、すばらしい学びであるに違いありません。
…と、書いてみると、すでに胸がいっぱいで、うまくまとまりそうにありません(^-^; というわけで、復習編での発展をお楽しみに♪
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