2歳は魔だが、6歳もそれなりに壁だ。2010/01/18 16:47

現在、冬ごもりモードかってくらいエネルギーレベルが低いです。そういう時は身体と心に逆らわず、そういうものか~と、できる限りのことを後回しにして、極力のんびりすることに決めました。

もともと気力・体力のキャパが低いので、最低限&後回しモードにシフトチェンジが可能な、シンプルな生活をしているんですが。さらに、輪をかけて。

エネルギー不足の別の原因としては、魔の2才を目前にした自己主張の塊=ジェイに、卒園&就学前の浮き沈みが激しい6才児=エルがかかわると、状況のバラエティーが多すぎて、両者それぞれにどう対応すればいいのか、イマイチ悩み中でありました。

子育てで行き詰まると開いている本。

『子どもの話にどんな返事をしてますか?』ハイム・G・ギノット著

以前書いた、「子どもとの暮らしを快適なものにするヒントが書いてある本」というのは、これのことだったんですが…今読み返すと、細分化したハウツーものではないですね(^-^; けれど、学ぶところは多い本なので、オススメです。

私自身の黄色信号としては、子どもに対して「早く!」が多くなると、大概、数日以内にキレて雷を落としますねぇ。そういうときにこの本を開いてみる。「子どもとコミュニケーションをとるためには、愛情だけでは不十分で、スキルも必要だ」と説く本書は、会話例も豊富で、身につまされますが、読んだ後には何かしら状況打破の糸口が見つかります。

私の目から見たエルの場合;

・この頃言葉を話すようになったジェイが注目を浴びてほめられることが多い。

・現在最高学年で、全能感・高揚感たっぷり(何でも自分が一番!それを周りにも認めてもらいたい!)なので、ちょっと気に食わない。

・ジェイが意思表示するようになり、親の愛情のライバルになってきた(エルは甘えんぼで不安感が強いタイプなので、かなり敏感)。

・就学もちょっと不安(おべんきょブームもたぶんこれの裏返し)。

みたいな感じでしょうか。とりあえず、飽きるまで甘えを受け入れつつ(ご飯食べさせて~♪とか(^-^;)、ジェイや周囲の大人に対する態度の線引きさえきっちりさせておけば、あとは後回しでいいかなぁと。幸い、園生活や友達とは、いつもどおり良好に過ごしております。

一方ジェイは…ま、予想しうる危険を避けつつ、人をぶたないとかそういう最低限のルールだけを押さえておき、あとは時間のある限り自分で何でもやってみてもらおうじゃないか!…先週も顔にかさぶた作ってましたが(^-^;

時間に制約があるとか、予定がいくつかあるとか、そういう状況だとどうしても「早く!」が連発されるので、とりあえずできる範囲で、時間を考えず、達成も考えず、予定も入れず、最低限をこなしながら、今は子どもの気持ちをゆっくりと汲むことが大事な時期と判断して、そのために何より、自分自身ものんびり過ごしております(←これが大事)。

年末年始、めちゃくちゃ楽し&忙しかったから、今はその圧力を抜いていく時期なのかもしれません。エルもジェイも私も。生活の変化ってあなどれませんね。あせらず・ムリせず・軽く見ず。流れに乗りつつぼちぼちと。


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バッグに夢中(1才8ヶ月の「お仕事」)2009/11/04 12:50

久々に、ジェイ登場~♪

1才9ヶ月が目前のジェイですが、このところ、「描く」敏感期から、「物を入れる」敏感期へと移ってきたようです。

バッグに、自分の気に入ったおもちゃをいっぱい詰め込んで、それを持って得意げに「ばいばーい」と旅に出て、家中をうろうろしてます(最近、階段昇るの速いんだよなー(^-^; 目がはなせない…)。みんながカバンに必要な物を入れてお出かけする行動@ジェイなりの解釈バージョン、といったところでしょうか。

そこで、私とエルの不良在庫だったバッグやらポーチを大放出し、さらに、たくさんある各種エコバッグや、お店でもらう紙袋、はてはレジ袋までが、手の届く範囲に転がっておりまして、ジェイはその時目に付いた「入れ物」に、なんでもかんでも入れようとします。

問題は、バッグよりも入れたい物が大きい時。また、バッグをうまく開けたままにできず、なかなか物が入れられない時。そんな時は、しばらくあれこれ試していますが、次第に「うー!」とじれてきます。

そばにいるのが私の場合、横目でこっそり観察しつつ、ジェイが明らかに「んままー!」と私を呼ぶか、近くまで来て手をつかんで引っぱっていくか、バッグと入れたい物を持ってくるか、つまりジェイが明らかに私を必要とする意思表示をするまでは、静かに待っています(いや、他のことを片付けてます(^-^;)。

このジェイの「うー!」状態を見ると、エルや祖父母は「どうしたの?それ、入れたいの?」とそばへ行き、

ジェイの代わりに物を入れてあげたり(エルに多いパターン)、

控えめに袋を開けるのを手伝ったり(祖母や父に多い)、

「それは入らないよ」と説得したり(祖父に多い)

します。この反応の違いをどう感じるかで、育児に対して持つ印象ががらっと変わってくるように思えますが、あくまでもテキトーでお気楽な私の場合;

ま、その人ごとに、反応が違うとわかるから、いいか!

と、なるべくありのままを受け入れつつ、ジェイにとってプラスにはたらく側面を見るようにしています。

まぁ本音を言えば、「ジェイがお仕事を始めて、自分で試したり工夫したりしているときには、なるべくじゃまをしないでやらせてあげたいなー」と思うのもやまやまなんですが。

しかし一方で、自分が「うー!」と困っているときに、スーパーマンが現れて、さっと事態を解決、または、いい方向に持っていってくれることがある、少なくとも、自分の行動に対して誰かが反応してくれる、という経験は、人と関わる社会生活の中で、とても大きなプラスの方向にはたらくものだとも思うのです。

というわけで、お仕事byモンテ、の方針も、基本としては据えつつ、運用は柔軟にやるのが、全体のバランスとしてはいいんじゃないかと、日々ほどほどで暮らしております。

このバランス感覚、というのがポイントで、エルくらいの年齢になると、大人が何を言うか、よりも、何をやるか、を見ているようになるので(ある意味コワイ(^-^;;)、正しいことを説くよりも、自分自身がどうやって日常をやりくりしているのか、危機管理をしているのか、というような、ありのままの姿を見せるほうが、役に立つかもしれない?という気もするのです。いや、正確に言うと、私にはそれしかできないなー、というところです。

話がそれましたが、時々、ジェイのお仕事のお手伝いを進んでやってくれたエルに、こんな風に話すことがあります。

「ジェイちゃんはね、今、かばんより大きな物は入らないんだーって、実験しているところなんだよ。エルや大人にとっては、見ただけで無理だってすぐにわかるよね?でも、ジェイは見ただけではまだわからないし、やってみて初めてダメだってわかるのね。そうやって、本当に自分でやってみたことって、案外忘れないよね」

こんな感じのことを、祖父母も一緒の食卓などで、ゆっくりとエルに話すので、これは私の基本方針についての所信表明演説のようなものであります(笑)それを静かに受け入れてくれる祖父母(私にとっては義両親ですね)にも日々感謝しています。また、その方針を知った上で、祖父母自身が実際に孫とどうかかわっていくのかは、それぞれの責任において自由である、というのも、基本方針の一つです。

と、ジェイの話から、生活の知恵みたいになってしまいましたが…子どもの学びを支えるのは、快適な日常生活である、ということで。あ、私にとってもね(^ー^)


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現時点での、問題意識のまとめもしくはメモ。2009/09/28 09:48

自分で自分の解説記事を書かないと落ち着かないという変な心境(笑)

そもそもモンテッソーリを読み始めたのは、モンテの動作訓練というものは、生活に根ざしているのではないか?と思ったからです。

生活に根ざす、というのは、私の育児でのメインテーマであります(「育家事」というものを提唱してみたこともあり)。

脳トレや100ます計算の人が口をそろえて「早寝・早起き・読書の習慣」と言うのに(また、それは至極もっともだと思うんだけれど)、その生活習慣から、どうやって、教科教育やら脳の活性化やら創造的発想などにつながっていくのか?そのミッシング・リンクを埋めるためのヒントは、毎日の生活の中にあるに違いないと確信して、エルと一緒に、暗中模索で過ごしてまいりました。

そのエルも、もう6才。諸学説で一致して、一段落する頃です。その機会を捉えて、今まで自分が、がむしゃらに考えたりやったりしてきたことを、ひとまとめにしてみるのも悪くないかも?と。で、手持ちの知識と経験をある程度意識化しておいて、また、ジェイを観察してみると。

モンテを実際に読んでみると、その考え方は、想像していたよりも知的な訓練でありました(という感想を持つのは珍しいかもしれないけれど(^-^;)。教具もたくさんあるし。それぞれがとても注意深くデザインされていて、非常に魅力的であります。ただ同時に、これが考案された時代背景、目的などを注意深く検討してから利用することが肝心という気もします。で、いまその作業を遅々としてやっている途中なのですが。経過報告が後回しになってすみません。

数の側面になみなみならぬ興味を持っているのは、偶然ではありません。以下に、参考になるかもしれない自分の年表を記してみます。

20才 学校で認知発達心理学を専攻。卒論のテーマを決めるにあたって、算数文章題の解答過程を研究テーマに決める。

26才 学生のまま結婚。研究テーマは変わらず。

27才 体調を崩す。研究の行き詰まりも原因の一つ。

28才 学校を退学。心細かった。人生の深淵へどっぷり。

31才 とりあえず、体調もだいたい回復。

32才 エルを出産。自分にやるべき仕事ができたという気持ち。エルは敏感で不安感が強い子で、なかなか私のそばから離れず、大変でした(^-^;

36才 ジェイを出産。エルの時よりずっと気楽。体力はないけれど、経験・知恵・度胸(笑)はある。

38才 数の発達について、新たな見地をみつけた。←これが現在

ざっと、研究をやめてから10年かかって、新しい見方(のヒント)が開けたというわけです。研究の行き詰まりというのは、次のような感じ。

「子どもが問題を解くときに、そのようすを細かく観察するだけでは、不十分なのではないか?」

という実感を持ちながら、研究をまとめたりすすめたりすることが不可能になってしまったのです。文章題がうまく解けない原因は、数の概念や言語発達だけにあるのではない。例えば、動機付け、集中力、性格、生活習慣、生育歴、などなど、その子どもの「全て」のことが、何らかの、よくわからない形で、大きく影響しているに違いない。

…こんなこと考えてたら研究なんてできませんよね。その通り、やめざるを得ませんでした。

で、自分史的にも大きな谷を越えて、エルを出産。エルは敏感で不安感が強く、私から離れない子どもで、3才くらいまで、どこへ行くにもだっこして連れて行きました(ベビーカーは嫌い)。周囲に子どもがいると、公園でもうまく遊べず、ホントにこの子は幼稚園に入れるんだろうか?と不安になりました。が、いまではフツーになじみまくってます。子どもは自分でたくましく育つ(笑)

そんなエルを、文字通り「抱えて」生活していたので、とにかく私にできることは、エルとの生活を注意深く整えることでした。育児書にも載っていない、同年齢の周りの子どもとも違う、小さな工夫一つ一つの積み重ねによって、エルは安心し、いろんなことを自分から始めるようになりました。←と、今ではちょっと自分を持ち上げ気味に思えますが(笑)、当時は必死。自分がやっていることが、いいのか悪いのか、見当も付かないというのが正直なところ。けれど、ありのままのエルをよーく観察することだけが、その方向を教えてくれると、祈るような気持ちですが、確信していました。大変でしたが、子どもにとっての「全てのこと」を観察できるのは、研究生活からは絶対に得られない、貴重なヒントが山盛りのざっくざくでした。一番大きな点は、何かを間に介さずに、「直接」感じることができるという点です。これはものすごい情報量でした。

で、知的障がい児の教育から、普通児の教育のヒントを得たように、エルに対して整えたやり方が、ジェイ(エルに比べたら、明るく活発で、とても育てやすいタイプ)にも、いい方向の作用をするかもしれないので、とりあえず書き留めておこうかな、と思ったわけです。

というわけで、「短時間で殴り書きモード」の「ひとまとめ」時期なので、読者の方には非常によみにくい文章になるかと思いますが、そのへんはテキトーによろしくお願いしますm(_ _)m また、どんな小さな点に関しても、コメント歓迎です。ひとまとめではありますが、日々発展型の中で、現在の時点を書き留めているので。

ジェイが騒いでます。だんなさんのワイヤレスマウスを持ってきて…って、それ、まずいんじゃない!?内蔵USBメモリを引っ張り出しました。どうやら、これを差し込めと言ってます。あぁ、見なかったことにしよう(笑)