おおいにほめよう、な春2009/03/24 13:56

こないだは「○○の秋」シリーズで相当引っぱったんですが、今度は春シリーズでいってみようかな。ポイントは、あんまり季節と関係のないキャンペーンを張ることです(笑)

で、ここはひとつ、おおいにほめようじゃないか。どうでしょう。

とあるきっかけで、ウチの育児のウリってなんじゃらほい?(って最近言わないよなー)と考えているうちに、まぁこれは小技なんですが、

「小さな変化を(←結果ではなく)大げさにほめる」

っていうのがあるかなーと。「昨日まではできなかったけど今日はできてるよね、えらい!すばらしい!」と、最低3秒間は本気で拍手して絶賛する。できれば立ち上がって目を見て「ブラボー!」と叫ぶ(ってそこまではしないが(^◇^;))この「賞賛を浴びせる」というところが重要。

このヨイショ作戦(笑)、ジェイでさえも抜群に効きます。得意そうな顔をして「もっと拍手を!」と何度もアンコールされます。ってなんだか違う気が…。

いい結果を出せばみんなほめてくれます。しかし、それ以前の努力とか変化とか成長とか、そういう小さいところでほめてくれる人ってあんまりいないよね。しかし、結果は出るものですが、努力はするものです。気がつけば、がんばってる自分を自分でほめることすら忘れてる。というわけで、これは効果的に自分をほめるための訓練でもあります。いかに小さな変化を見つけてほめられるか?ここまでくるともはや修行だな。

評論にも、ほめ評論とけなし評論があって、読んでて断然おもしろいのは、ほめ評論の方が多いのであります。けなし評論はある意味、誰にでもできますが、ほめ評論のほうは、ある程度の観察眼と想像力と技術がないと難しいという、ハイテクなのであります。しかもこの技術は、評論だけに限らない。技を磨けば…太鼓持ちにもなれる(笑)なってどーするよ、っていうのはさておき。まぁ育児にもアクセントがついてなかなか効果的ではある。

私はこれに心をうごかされた、と表現することは、自己表現でもあります。ほめられた人は、ほめられたことをまたやってみようという気持ちになる。ほめた方も「こういう場面が自分は好きなんだなー」と、楽しい気持ちを再現するのがうまくなる。めでたくwin-winな関係ではありませんか。

ただ最後にひとつ。自分の都合でほめてはいけません。もちろん自分の好みはあるし都合だってあるけれど、あくまでも基本は、客観的に見ても、ほめられてしかるべき現象であるということが前提です(前後のしがらみはさておき)。

もし自分に都合がいいふるまいをしてくれたのならば、それに対しては「お礼」を言うべきです。それもなるべく具体的に。たとえば「おかーさん、さっきまで夕飯の支度で忙しかったから、ジェイちゃんと遊んでてくれて本当に助かったわ~。それも立派なお手伝いだよね~。ありがとう♪」というような感じ。自分にとって利益になった行動をきちんと指摘し、どう役に立ったか伝え、感謝する。大概は「えーヒマだったからいいよー別にー。」みたいな返事が来ますが。そういう何気ない大人なやりとりって、案外積み重なって、いつかは外で使える技となるのかもしれん。

そうか、エルもジェイも、いつかは大人になるんだよなー。今できることって、ちょっぴりなんだな。でも、今しかできない、貴重な、ちょっと。

ジェイが風邪ひいた2009/03/12 11:22

♪ごんべさんの赤ちゃんが風邪ひいた~♪
という歌がいつの間にやら
♪ひとりとひとりが腕組めば~♪
にすり替わって、大盛り上がりで力強く歌いあげてしまい、「もう、こんなんじゃ、風邪治んないっ!@フラットさん」というオチ、という歌ものショートコントがクインテットにありましたが。

と、マクラはさておき。

昨日は朝からちょっとジェイの鼻水がでるなぁ…と思いつつ、運動不足でくしゃくしゃ気味のエルが友達と一緒に公園で遊ぶために出かけて行ったら、まぁ短時間で外は切り上げて友達の家におじゃましたのですが、夜から見事な鼻水ダー(  ̄ ii  ̄ ) っぷり。夜中に熱もあったようですが(おでこや首筋を触ると熱かった、推定38度台後半)、おでこや手足も汗っぽく、赤い顔してスヤスヤ爆睡してたのでそのまま置いておきました(顔色が悪くて苦しそうだったら解熱剤を投入)。今朝測ると38.0度。これは見事にフツーの風邪ではないか。肝心の水分もいっぱい摂るし(朝久々にオムツがもれてた!)、食欲もまぁスープごはんをいつもの半分くらいはパクパク食べるし(いつもは子ども茶碗に一杯食べるのですが、今日は半分←おばけのQ太郎みたいだ)。とりあえず観察ということで背中に背負っております。現在寝息も静かによく寝ております。小児科に行って別の風邪もらってもなぁ、と悩みどころではありますが、今の様子なら今日は大丈夫でしょう。まだ平日だしね(土曜だったら連れてくかもだけど)。

エルはしょっちゅう鼻水が出て、そのままおさまってしまうことが多かったのですが、ジェイはあまり鼻水が出ない代わりに、セットでしっかり熱が出るタイプなのね…と心のメモ。昨日はやたらと麦茶を飲みまくり(お代わりまでしてた)、食欲はいつもと同じでバクバク食べてましたが、確かにいつもよりはちょっと機嫌が悪かったような気もする(エルはいつもギャーギャー泣いてたから、ジェイの機嫌悪いっていうレベルが一向に気にならないのであります。)そして最大の違い、それは

風邪をひかせちゃった、という私の罪悪感が薄い(^◇^;)←そんなんかい!

エルの時は「ごめんよ、母さんがしっかりしていなかったばかりに…」という勢いでめっちゃ凹んでました。マジです。それに比べ、今回ももちろん手落ちは多々ありますが(鼻水なのに公園とか、眠そうなのにお出かけしたとか)、それなりに対策もしていたし(厚着、風よけ、マメにおむつ替え、ごはん中心たんぱく質少なめの消化の良いごはん、水分補給)、仕方ない事情もあり(エルが運動不足でくしゃくしゃ、風が冷たかった)、まぁ総合して、こんなもんじゃないか、というような心の妥当な点がはっきりとある。しかもこの風邪なら様子見だなー、とか、もし様子が変わったらいつでも車につけてどこどこへGOだ!とか、具体的な対応策もある分、不安感も少ない。

…次女はたくましく育つ、予定(笑)

たぶんいろんな経験によるマイ(←この「私だけの」というところが重要!)心の着地点があるということなんでしょうね。えぇこれはひとえに経験の賜物です。徹頭徹尾。一回ごとに何かを学習し、次につなげる。次もまた条件が違うけど、とりあえず使える知識を総動員して、やってみる。その結果をまた…という繰り返しが、育児の王道なのでありましょう。この手間さえ惜しまなければ、結構楽しいものであります。身近で役に立つサバイバルゲーム。データセーブもゲームオーバーもなし。

もしかして楽な近道?と思って育児書とか読んでみるんだけど、結局は、たまに役に立つかもしれないおばあちゃんの知恵袋、みたいな部分が多い。というか、そういうつもりで読まないと振り回されてしまってしんどい。エルは切実な項目ではほぼあてはまらず、ジェイはどれも結構あてはまる(から読む必要がない)。当たるも八卦、ではありませんが、そんな気がして仕方ない。

育児の背骨(体軸)は自分で作るしかないのですね。

私が愛用している「赤ちゃんの本(財団法人母子衛生研究会)」はまぁまともな本ですが(読んでもブルーにならない)、一番役に立ってるのは、病気のページですね。幼稚園で○○が流行ってるんだって…それってどんなん?みたいな時。ネット検索よりコンパクトで実用的。親にできるのは「子どもがいつもと違う」「もしかしたら病気の兆候があるかも」みたいな入り口で、そこから先は医者に判断してもらうしかない。しかしいつもと違う、というのはたぶん親が一番よくわかるところでありましょう。私の尊敬&信頼する小児科医は、「診察室に入ってきたときの雰囲気で、重病かどうかは7割方わかる」とおっしゃっておりました。この言葉から学ぶところは大きい。

気持ちを研ぎ澄ましましょう。五感、いや六感もひっくるめて。子どものためにも、なんとかかんとかちょっぴりでも自分の時間を持って…身体と心の体勢を立て直し、地にしっかり足をつけてどんと構え、改めて新鮮に向き合う…と、忘れるたびに、思い出したい。ってこう書いてみると、相撲のようですね。よい型には知恵が詰まっています。

世界の新しい解釈//眠すぎる土曜日2008/11/15 09:16

さて今日は土曜日ですが、エルは幼稚園。ジェイは午前中のお昼寝タイム。洗濯物を干す前に更新してみたりする、贅沢な休日。

「世界の新しい解釈」がしりとり的お題だったんですが。新しいとはどういうことか?解釈とは何か?と考えてみるに(核心となる言葉が先に出て、理屈はいつも後からなのであります)、ここまでの流れではたぶん、

・他人の世界観は、私にとって新しい。

・世界とは、それぞれが解釈するものであって、一義的に決まらない。

というようなことではないかと。当然といえば当然のことなんですが(^-^;

こういうお互いの世界観を、名刺みたいに交換するためには、まず、自分の世界観を把握していることが必要なわけです。お互いに違う、ということが前提ならば、主観的なものでも、客観的だと思いこんでいるものでも、何でもかまわない。とにかく自分をそこに乗っけて毎日暮らしている乗り物のような日常を捕まえる。そして、表現する。

地と図という話が出てきましたけれど、本当におもしろいのは、図の中に見え隠れする地で、その隠れた広がりを見つけ出すことが読書とか会話の楽しみというか。

よく(上手に、というような意味)表現された世界観は、他人の目を開きます。それが、新しさ。世界標準の新しさではなく、ごくローカルなものですが、そこに本当の進歩(の芽)があると思うのであります。少なくともそのエネルギーは確かにある。

世界を一義的なものと思わない、常にある割合で疑い続ける、というのは、面倒な待機電力は要りますが、正直であるために必要な力、という気がします。

…と、ぐるぐると考えることが何になるのかって気もしますが、たぶん自分への戒めとか、画家や植木屋さんのように、ちょっと距離を置いて考えてみる練習とか、そういう種類のものでありまして。

しかしまぁ、世界を疑うことをいったんやめてみて、そこに飛び込んでみることが必要な時期という気もしているのでありますね。はい。逆説的ではありますが。

少なくとも、何かを割り切ろうとは思っていないのです。割り切れないとはわかっているが、帰りの道筋をせめて記録しておこうと思って。小鳥がついばんで食べてしまったら、別の道を探します。いやむしろ、食べてもらったほうがいいのかもしれない。

息切らせ 追った背中が 見え隠れ


いや、ホントはこのことを書こうと思ってたんだ。

眠い。

ジェイが夜のミルクを飲んでから一暴れして寝る、というのが現在の生活パターンなのでありますが、夜中の12時頃寝て、3時に起こされてまた寝て、5時から7時まで腕の中のジェイに断続的に起こされつつうとうとし続ける、みたいな生活で、昼寝する時間(というか、昼間に子どもが両方とも静かに安全にしてくれている奇跡のような時間)もなく、まあ昨日は久々に昼寝しましたが、それで余計自分が眠かったことに気づいてしまった感じ。

いままでは育児ホルモンというか、身体が細切れ睡眠でもなんとかなるようにセットされていたのですが、だんだん乳離れしつつあると共に、フツーに数時間まとめて寝たい身体にシフトチェンジしてきたようです。育児マジックも長くは続かない。

エルの時も、9ヶ月くらいの時に激しく寝不足でふらふらで、しかもそういう自分の体調に気づいていなかったから、精神的にもひどく低空飛行でした。今回は学習しただけましだな。

眠い。眠い。背中のジェイをベビーベッドに降ろして眠りたい。好きなだけ眠れたらどんなに幸せだろう(切実)。

とか思ってみるのをちょっと楽しんでみたりして。…それもどうかな(^-^;

ちなみに昨日は、スタバで読書するのが切実でした。日替わり切実かい!←まぁ幸福の種ということにしておこう。

ジェイが起きたんで、そろそろごはんにしないと。