現時点での、問題意識のまとめもしくはメモ。2009/09/28 09:48

自分で自分の解説記事を書かないと落ち着かないという変な心境(笑)

そもそもモンテッソーリを読み始めたのは、モンテの動作訓練というものは、生活に根ざしているのではないか?と思ったからです。

生活に根ざす、というのは、私の育児でのメインテーマであります(「育家事」というものを提唱してみたこともあり)。

脳トレや100ます計算の人が口をそろえて「早寝・早起き・読書の習慣」と言うのに(また、それは至極もっともだと思うんだけれど)、その生活習慣から、どうやって、教科教育やら脳の活性化やら創造的発想などにつながっていくのか?そのミッシング・リンクを埋めるためのヒントは、毎日の生活の中にあるに違いないと確信して、エルと一緒に、暗中模索で過ごしてまいりました。

そのエルも、もう6才。諸学説で一致して、一段落する頃です。その機会を捉えて、今まで自分が、がむしゃらに考えたりやったりしてきたことを、ひとまとめにしてみるのも悪くないかも?と。で、手持ちの知識と経験をある程度意識化しておいて、また、ジェイを観察してみると。

モンテを実際に読んでみると、その考え方は、想像していたよりも知的な訓練でありました(という感想を持つのは珍しいかもしれないけれど(^-^;)。教具もたくさんあるし。それぞれがとても注意深くデザインされていて、非常に魅力的であります。ただ同時に、これが考案された時代背景、目的などを注意深く検討してから利用することが肝心という気もします。で、いまその作業を遅々としてやっている途中なのですが。経過報告が後回しになってすみません。

数の側面になみなみならぬ興味を持っているのは、偶然ではありません。以下に、参考になるかもしれない自分の年表を記してみます。

20才 学校で認知発達心理学を専攻。卒論のテーマを決めるにあたって、算数文章題の解答過程を研究テーマに決める。

26才 学生のまま結婚。研究テーマは変わらず。

27才 体調を崩す。研究の行き詰まりも原因の一つ。

28才 学校を退学。心細かった。人生の深淵へどっぷり。

31才 とりあえず、体調もだいたい回復。

32才 エルを出産。自分にやるべき仕事ができたという気持ち。エルは敏感で不安感が強い子で、なかなか私のそばから離れず、大変でした(^-^;

36才 ジェイを出産。エルの時よりずっと気楽。体力はないけれど、経験・知恵・度胸(笑)はある。

38才 数の発達について、新たな見地をみつけた。←これが現在

ざっと、研究をやめてから10年かかって、新しい見方(のヒント)が開けたというわけです。研究の行き詰まりというのは、次のような感じ。

「子どもが問題を解くときに、そのようすを細かく観察するだけでは、不十分なのではないか?」

という実感を持ちながら、研究をまとめたりすすめたりすることが不可能になってしまったのです。文章題がうまく解けない原因は、数の概念や言語発達だけにあるのではない。例えば、動機付け、集中力、性格、生活習慣、生育歴、などなど、その子どもの「全て」のことが、何らかの、よくわからない形で、大きく影響しているに違いない。

…こんなこと考えてたら研究なんてできませんよね。その通り、やめざるを得ませんでした。

で、自分史的にも大きな谷を越えて、エルを出産。エルは敏感で不安感が強く、私から離れない子どもで、3才くらいまで、どこへ行くにもだっこして連れて行きました(ベビーカーは嫌い)。周囲に子どもがいると、公園でもうまく遊べず、ホントにこの子は幼稚園に入れるんだろうか?と不安になりました。が、いまではフツーになじみまくってます。子どもは自分でたくましく育つ(笑)

そんなエルを、文字通り「抱えて」生活していたので、とにかく私にできることは、エルとの生活を注意深く整えることでした。育児書にも載っていない、同年齢の周りの子どもとも違う、小さな工夫一つ一つの積み重ねによって、エルは安心し、いろんなことを自分から始めるようになりました。←と、今ではちょっと自分を持ち上げ気味に思えますが(笑)、当時は必死。自分がやっていることが、いいのか悪いのか、見当も付かないというのが正直なところ。けれど、ありのままのエルをよーく観察することだけが、その方向を教えてくれると、祈るような気持ちですが、確信していました。大変でしたが、子どもにとっての「全てのこと」を観察できるのは、研究生活からは絶対に得られない、貴重なヒントが山盛りのざっくざくでした。一番大きな点は、何かを間に介さずに、「直接」感じることができるという点です。これはものすごい情報量でした。

で、知的障がい児の教育から、普通児の教育のヒントを得たように、エルに対して整えたやり方が、ジェイ(エルに比べたら、明るく活発で、とても育てやすいタイプ)にも、いい方向の作用をするかもしれないので、とりあえず書き留めておこうかな、と思ったわけです。

というわけで、「短時間で殴り書きモード」の「ひとまとめ」時期なので、読者の方には非常によみにくい文章になるかと思いますが、そのへんはテキトーによろしくお願いしますm(_ _)m また、どんな小さな点に関しても、コメント歓迎です。ひとまとめではありますが、日々発展型の中で、現在の時点を書き留めているので。

ジェイが騒いでます。だんなさんのワイヤレスマウスを持ってきて…って、それ、まずいんじゃない!?内蔵USBメモリを引っ張り出しました。どうやら、これを差し込めと言ってます。あぁ、見なかったことにしよう(笑)

コメント

_ 儚い預言者 ― 2009/09/28 19:06

 子どもは皆、魔術師だと思うんです。でも大人の思考形式が曲解して、自分の型(思考、感情、想像)に無理やり嵌めこんでしまう。
 特殊化する宇宙と全一の宇宙の違いは何か。内と外の境界域で子供は、その与件すべてに遊んでいる。この大いなる夢をどうすればいいのか。非常に微妙なバランスが必要な気がする。
 規定するという仕組みは、その無限の一なる宇宙をバラバラにして、そして一つに戻るいのちの過程であろうか。


エクセトラ

 ●どっかで読みましたが、出来るだけ子供と一緒に居てあげるのがいいと聞いたことがあります。そうすれば子供が自然と離れていくと。

 ●シュタイナー学校ではフォルメン線描っていうのがあるみたいですね。たまたま古本屋で見つけて手に入れたのですが、図をぱらぱらと見ただけで積読してます。

_ おさか ― 2009/09/28 22:16

育児の苦労話をさせたら一晩中でもしていましてよっ
ええそれはもう!
私、出産前は結構キツイ職場にいたのですが(徹夜・夜中の呼び出し当たり前)
それでも、育児はもっとキツイと思った
何しろ、自分のペースというものが掴めませんから
ていうか
一日が完全に子どものための24時間! と化しますから

なんていうか
自分がいったん、壊されてバラバラになって
再構築されたって感じですね
子どもよりむしろ
(子どもは勝手に育つ、仰るとおり)

数に関しては・・・・うーん、まだよくわかりませんが
とにかく
反復・習慣化(規則的に)
というのがポイントかな
理解度は個人差はあるものの、だいたい年齢とともに上がっていきますので
「一定時間内に機械的に何かをこなす」
というトレーニングが子どもには重要かもしれない
勉強って地道な努力ですから
そういう「身体の動き」が出来るようにならないとって感じでしょうか

うーん、いづみさんの言ってることとはズレてるのかな???

現役中学生と小学生の母
もうちょっと考えてみますね、また来ます♪

_ いづみ ― 2009/09/29 09:50

>預言者さま
子どもはそのままで十分美しいのに、社会化されなければ生きていけないという人間の皮肉。ちょっと前に流行った「自分探しという名のニート」に、真の人間性や自由があるとも思えないし、やはり、自らの力を、様々な困難をすり抜けて、高みへと伸ばし続けることが、人間らしさなのかもしれないですね。

シュタイナーは予言者さまにオススメかも。領域を越えた普遍性。私は幼児教育をちょっとかじっただけでお腹いっぱいになってしまいましたが(^-^; 預言者さまの胃袋ならたっぷりと入りそうです。

>おさかさん
自分の生き方が変わったというのは事実かも。明らかに世界の見方が変わった。世界のほうが変わっていないのが不思議なくらいです(笑)

勉強は、生活を越えた訓練ですね。その訓練を支えているのが、(それまでに生活の中で作りあげてきた)身体感覚で、現在のエルはその境目あたりにいると感じます。

訓練することで、また新たな技を身につけて、磨いていく。小学校は訓練の入門、中学生で本格化、みたいな道筋をぼんやりと考えてはいるのですが、その時になって(いや、後になって(^-^;)みないと、文章化はできないかもしれないです…もどかしいのですが。

今は、10年物の書きたいことが突然にわき上がってきたという感じです。とにかくダーッと突き進んでみます♪

_ にっしー ― 2009/09/29 16:34

私の病気の回復過程とよく似ている気がしました。自分が対象に張り付くのではなくて、自分は不動で、対象の動きをじっと見ているだけ。

この作業は、本当にその最中にいるときは辛いものです。ただ、ある程度してから振り返ると、自分が360度の角度から物事が見れるようになっている事に気がつきます。

私も、やりたくてやった訳ではないのですが、そうせずには病気が治らなかったもので必要に迫られました。

私は回復までに12年かかりましたからねえ。でも、子育てもこういう感じなのかー、と興味深く読みました。

_ いづみ ― 2009/09/29 22:50

>にっしーさん
ありのままを観察、というのは、最もシンプルなようでいて、これがなかなか難しいですね。主観/客観という区別が存在しながら、観察する「私」は常に主観の窓から眺めているわけですから。時間を経ることは、何よりの力なのかもしれません。にっしーさんのステキな詩を思い出しました。…果報は寝て待ちましょう、おやすみなさい(笑)

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