モンテッソーリ、ブログ風味(前半)2009/09/29 13:56

「モンテッソーリの教育―子どもの何を知るべきか 子どもの発達と可能性」、マリア・モンテッソーリ (著), 林 信二郎 (翻訳), 石井 仁 (翻訳) 、あすなろ書房 、1980。

を読みました。メモ取りに思ったより時間を費やしてしまいましたが、ざっと概観するに、

晩年の彼女がブログを書いたらこんな感じだったかも。

という印象を持ちました。まぁこの本自体が教育者養成のための講演の再録なんですが、いわゆる講義というよりは、ブログ風(笑) 随所に例をひきながら、発達の様々な要素について、彼女の考え方のだいたいの道筋に、細かな注意点などがちりばめられておりました。実践書でもなく、概論書でもなく、徒然なるままの専門家エッセイといった感じ。まぁ年齢が高い教官なんかにはこういう講義をする人もいますがね…(^-^;

各章の簡単なまとめと、読みながら思ったこと(*)など。

第1章 科学的教育

教育とは、教えることではない。生命に対する援助である。これまでの教育観を打ち破ったのがモッテッソーリ教育である。

第2章 自立への援助

「子どもの家」では、子どもはおとなによって形成されるのではなく、自己形成の自由を任される。子どもの最も重要な要求は自立であり、それを援助することが大切。発達を援助する手助けが必要であり、発達を妨げる手出しは無用。

*余計な手出し無用、というところがイタタであります。目に見える何かをしてあげることが、必ずしも、子どものためならず、というのは真理かも。

第3章 活動と独立

子どもの自然の衝動とは、
1.活動自体を愛し、物事を成し遂げたい願望。
→自己活動は教育の基礎。
2.独立性を獲得するための努力。
→自分でできる助けとなる環境や道具を準備すべき。

第4章 発達の自然法則

自然の法則では、有機体は自己活動によって自らを形づくり、成長・発達する。つまり、子どもは自分で発達する。それに対して重要な貢献をするのがおとなの役割。

第5章 発達の諸段階

1.誕生~6才(乳歯が永久歯へ替わる)
2.6才~12才
3.12才~18才(親知らずが生える)
身体的変化は精神的変化も反映している。

第6章 生命の最初の3年間

身体:走ることもできる。精神:身の回りの多くを理解している。
この年齢&期間で、母国語(話し言葉)を習得…子どもはおとなの持っていない力を持っている。よって、発達のおのおの特別な時期の特徴にしたがって発達するよう、子どもにまかせておく。

*最後の文は、行動の遂行を妨げない+敏感期、の話ですね。

第7章 子どもの発達の新しい真実

身体:体重は、6ヶ月で誕生時の倍、12ヶ月で3倍。小脳の発達によって、6ヶ月から18ヶ月まで急激に成長し(お座り~立つ~歩く)、4才半くらいまで続く。
精神:2才くらいでほぼ全ての重要な機能が形成され作用する。精神発達は外界の刺激によって喚起される。興味を目覚めさせるには反復が有効。また、社会的な(=他人とふれあう)生活の欲求も持っている。

*当時としては、何もできないと思われていた幼い子どもにも、これだけの能力があるのか!というのが驚きの連続であり、それを発見&実証することが、発達心理学全体のモチベーションとなっておりました。っていうか、最近でもそうだけどね…(^-^;;。

第8章 ことば
言葉は人間発達の最も有効な道具。理解している単語数の方が、表現に利用できる単語数よりずっと多い。言語に関わる脳中枢も二つある(記憶部分と発話部分)。習得は一様ではなく、急激に起こる。2歳半頃まで、言語獲得の特別の能力を持っている。

*この、言語習得についての、脳の研究との対応部分は、当時の研究成果のレベルをよく見極めておくべきだと思います。例えば、単語の記憶について採用しているモデルが、「おばあさん細胞」理論なのか、はたまた「ヘッブの法則」か、ニューロン間の分散表現によるものなのか、それぞれにおいて、習得についての解釈が微妙に変わってくる可能性があります。

第9章 子どもとおとな

幼児期の獲得は、自発的で容易になされる。一方おとなは、手本・練習・意志的努力などが必要。この発達初期における特別な能力の性質は、特定の時期・段階・敏感性・変化などである。環境の中から取り入れたり獲得したものを自身の中で結合して発達していく。

*この、一つの特質を形成→結合するという過程ですが、生命の発生において、諸器官の形成→結合することによって初めて個体となる、という過程からのアナロジーであるように思えます。彼女は「宇宙の計画」は普遍であるという立場から、敏感期の概念も、このアナロジーで説明しています。ただ、そこには、よくよく留意しなければならない点があるように思えます(例えば、敏感期は一過性というが、どの程度のまとまりをもつのか?)。敏感期が「ある」というのは大きな発見ですが、その定義や性質については、時代を経て検討を重ねていくべき課題であり続けるのでは、と感じます。

第10章 牢獄と砂漠からの開放

発達は自由への歩みである。
最も初期は、自分では何もできない(≒牢獄)。
適切な環境がない場合、無為・たいくつ・抑圧などがある(≒砂漠)。

年齢に応じた、環境および精神的援助が必要である。就学してペンで文字を書くためには、それ以前の手仕事や興味が必要である。その準備がないと、学習に対する憎しみや嫌気がもたらされる。

しばしば重荷となる学習と対照的に、母国語習得や身体の動きは、喜びと自発性を持って習得される。

「子どもの家」に来た3歳児は、必要な設備・教具・環境の中で、話し言葉と同様に(喜びと自発性を持って)書き言葉も吸収した。単語を覚えることを強く望むので、適切に分類された、科学的用語を与えたところ、容易に習得した。これらの学びは、環境を、全体的・巨視的につかむ上で役に立つだろう。

*この3才の子どもの科学的単語習得の例は、様々なところで例に出されます。一般的に、モンテッソーリ=早期教育、っぽい文脈で語られるのは、こういう観察例を前面においた場合なのでしょう。

ただし、この子どものおかれた環境に注意しなければいけません。この子の親は、とても貧しく読み書きができない人でした。つまり、生活の中では書き言葉についての情報が少なかった。この子どもにとって、書き言葉や科学的単語は、「年齢以上の」さらに「親にもできない」活動であり、強いあこがれや動機付けと、達成したときの喜びが感じられたはずです。

現代日本の子どもをみると、親は普通の読み書きができます。あいうえお表や絵本も豊富にあり、テレビも街も、文字にあふれています。つまり、文字の読み書きができるということは、あこがれの対象というよりは、当然のことであり、できないと困ること、のように思えるかもしれません。

モンテッソーリの本当に言いたかったことは、「幼児期でもこんなことまでできるんですよ!」「敏感期をうまく利用しないとソンですよ!」というよりも、

・子どもから自発性が現れるのを待ち、適切な時期に「楽しく学ぶ(とは、その子どもが本当に求めているものを見極めて、決して妨害せず、環境を柔軟に整える)」こと。

・学ぶ内容は、その後の科学的知識の広がりを支えるような「現実的な(つまり、万物がそれに従うところの宇宙の法則を反映して、上手に体系づけられた)」ものにすること。

という点にあるように思われてなりません。

幼児教育というと、年齢&達成レベルや、結果から評価される表面的な正解・不正解に目を奪われがちですが、遂行過程で現れる様々な行動、その内側にある心の動き、将来進むべき方向を見定めた上での適切な環境の用意、そんなことを考えさせられました。

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とりあえず、ここまでアップしてみようかな。第21章まであるんですけど…(^-^; まずは前半ということで。