物理、再入門。(母の学び直し)2009/11/03 12:08

えー今回は、便宜上「学ぶ日常」のテーマに入ってますが、

私自身の学び(直し)

でありまして…マイブームの「幼児教育」とは、えーと、いつかどこかでつながる予定ですが、いまだなお未定の内容です。

*****

ある朝(忙しいときに限ってこういう難しい質問するんだよなー(^-^;)、エルがこう言いました。

「ねぇ、もし時間が止まったら、走っていたのが、こうやってこのまま止まっちゃうの?(と今にも倒れそうな前傾姿勢で止まってポーズ)」

「うーん、そうだねぇ、時間は空間と同じものだっていうしねぇ…(ここからは完全に私一人の世界へGO !)」

そのときたまたま出勤前だっただんなさん@理系をつかまえて(たぶん彼も「忙しいときに限って面倒なこと聞くんだよなー」と思ったことでしょう(^-^;)

「あのさ、エルがね、時間が止まったら動きも止まるかって聞くんだけど、時間が止まるってことは…ビブンなの?(←実は意味がよく分かっていない)」

「いや、微分ではないよ」

「そしたら、関係式のぱらめーたー(←これも実はよく分かっていない)の一つがゼロになるから、答えもゼロになるってこと?」

「…まぁそんな感じじゃないの(そっけない)」

ふーーーん。

*****

イマイチ釈然としないまま、気づけばこんな思い出が頭の中でぐるぐると。

高校時代、必修だった物理は、常に赤点すれすれか、または赤点そのものでありました。しかしなぜか、物理自体は嫌いではありません。一つの完成した世界観はゆるぎなくカッコイイものだと、憧れのような印象を持っています。

苦手だったのに、なぜ?…思いあたるのは、高校時代の物理教師についてよーく覚えていること、それは彼がしばしば口ずさんだ歌;

♪えーむ、えーい、えーふ♪(←ドミソの音階で)

というもの…今となってはこの m や f が何を表していたのかすら覚えていませんが、このドミソの歌はだけ覚えています。あとまぁ、これが何か大事な公式だというのも(付記:今調べたら、ma = F という、ニュートン力学における加速度の公式のようです)。さらに彼は、歌に付け加えて、きまってこう言いました…「ドミソで覚えると、べーんりっ♪」…(^-^;; そこから得た印象は;

物理の世界は、えーむ、えーい、えーふ、なり!

というお気楽さ。これはかなり強力です。物理恐るるに足らず。あのときはよく分からなかったけれど、少なくとも嫌いにはならず、興味は残っているという点で、ちょっぴり感謝してみました。(高校時代は変なの~と笑っちゃってすみませんでした>O先生)

現在、私がエルと一緒に経験していることも、こんな風に、楽しい印象としてどこかに残ったらいいなぁ、という思いも、チラリと脳裏をかすめます。モンテの言う「種まき」や、齋藤孝の言う「宝石を身体に埋める作業」のように。記憶と一緒に、なんだか愉快な気持ちもくっつけて。

これはきっと、私自身の学び直しのよい機会に違いない!とばかりに、早速アマゾンで、子ども(=現在の私&将来のエルのレベル)でもわかる物理の本はないかな~と探しているうちに気づいたのは、いや、物理じゃなくて、時間と空間の関係っていったら、例のアレだよアレ、ほら、

相対性理論

ってやつ?うひゃー!一体そこまで本当にたどり着けるのか?いやいや、かの齋藤孝も、まずは自信を持たせるために、小学生にシェイクスピアや夏目漱石を読ませているではないか。物理っていったら相対性理論だよねーやっぱり(何がやっぱりなんだか分からないけれど)。

で、選んだのがこの1冊;

アトム博士の相対性理論

であります。いきなりマンガです。しかも手塚治虫がまんが監修であります。評判も上々。これを早速注文して、こっそり読んでいつかエルに説明しようと、私の作業スペースの隅に置きつつ、時々ぱらぱらと眺めていました。

目ざといエルは、寝る前にさっさとこれを寝室へ持っていき、「今日はこれ読んで!」と言い張ります。…えー、字も多いし、せりふも説明的だし、用語は難解だし、こんなの読んでもおもしろくないよー、と言っても、おかまいなし。仕方なく、「ママはね、自分がこれを読んで勉強しようとおもって買ったのね。でもまだあんまり読んでないし分かってないから、質問禁止ね。いい?」と前置きして、最初の章(0~3次元の説明と、4次元への展開)から読み始めてみたところ…5ページもしないうちに寝ました(笑)お、これはラッキー。

こんなことが数日続き、私はいつもより少し早い時間から幸せな読書のひとときを過ごしたのですが、なるほど、順を追って丁寧に書いてあり、マンガだけに図解もたっぷりで、なんとかかんとか、アウトラインだけは納得しました(たぶん)。実は、場面を限定した「特殊」相対性理論は、それほど難解ではありません。階段を一つずつ確実に昇っていけば、ちゃんとたどり着けます。理解困難とされているのは、いろいろな場面で展開する「一般」相対性理論のほうなんですね。きっとこちらはワープでもしないとたどり着けないんだろうなーと勝手に想像。もちろん、この本ではより簡単な「特殊」のほうを扱っております(続巻では果敢に「一般」のほうを扱っているようですが…そこまではいいや(^-^;)

読んでいて、特に大切なのは、まず以下の2点を、キモにしみ入るまで納得することだと感じました;

・原因と結果が入れ替わることはありえない

・光の速さは「常に」秒速約30万キロメートルである

ここをゆるぎない基礎として、そこから先の説明は、本を読んでいただくことにして(要約すらできない理解レベルなので(^-^;)、とにかく、この論理の積み重ねは(ほんのアウトラインだけだとしても)美しいとしか言いようのない完璧さでありました。常識にとらわれず、経験や実験をもとに論理を展開していく手法の可能性は、まぶしいばかりの道のりに見えます。最初に切り開くのは、真っ暗な茨の道だったのでしょうけれど、よく整備された道をお気軽に追体験するのでさえ、ワクワクします。

これまでなにかと、近代科学なんてララーラーララララーラー♪(意味不明(^-^;)と小林秀雄風味に思ってしまいがちな私だったのですが、科学のもつ世界観というのは、ひとえに「楽しい」のだなぁということに改めて気づきました。しかしまぁ、ちょっぴり理解したからといって、その世界にどっぷり浸かりたいか?と問われれば、それは遠慮したい感じなのですが。勉強ってそういうものですよね。まずは、いろんなことを知ったり理解したりする、その中で、自分の好きなものを見つけて進んでいく。好きなことをより広げていくために、他の知識も利用する。知ったり理解したり、というのは、自己実現の第一歩であるかもしれないけれど、最終目標ではないはずです。

さーて、これからエルに何か説明しなければいけないのですが…(^-^; 「もう少しして、エルが自分でこのマンガを読めばわかるよ、ということがママには分かった」というのでは、ダメ?(笑)


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コメント

_ ヴァッキーノ ― 2009/11/03 17:05

学問ってつくものが自称苦手な
トゥーサ・ヴァッキーノです。
特に数学はどうしようもありません。
どんな公式もひとつとして・・・・・・・・。
あ、てーへんカケルたかさワルに
みたいな式はいくつか解ります。
そういう人間です、ボク。

ポチッ。

_ いづみ ― 2009/11/03 17:19

>ヴァッキーノさん
てーへんカケルたかさワルに(笑)
その公式を発見した人はエライよね。
もし自分でプチ発見したら、ちょっとは愛せるかもしれませんねぇ。
しかし、まぁ、好みというものは確かにあるかも(^-^;

_ いづみ ― 2009/11/03 17:38

>ヴァッキーノさんへ、言い忘れ。

そういう公式みたいなところをすっ飛ばして、世界をがっつりプテ掴みにしちゃうところが、ヴァッキーノさんの持ち味なんじゃないかと思いまーす!

プテ掴みについては、以下を参照。(ベタギャグ注意!)

http://blog.goo.ne.jp/simingeen/e/f53e451bbbcbb6a3c444ce41fcba8bc3

_ ROKA ― 2009/11/03 19:32

うむむ・・物理 あ×点&追試のROKAです・・・(爆死;;

ヤフー学習のドリル(高校向け)を繰り返しやりましょう。
おすすめです。↓
http://stepup.yahoo.co.jp/drill/course.html?co=05&gi=01&li=0

中学3年、高校受験レベルでも、けっこうむずかしいよ^^;;
http://stepup.yahoo.co.jp/drill/course.html?co=12&gi=02&li=0

_ いづみ ― 2009/11/04 10:02

>ROKAちゃん
やばー、高校向けはもうダメダメで、高校受験レベルでも、クラクラです。

エルがこの年齢になったら教えてもらおう…(^-^;;

_ さややん ― 2009/11/04 17:25

うちの小4長男、現在「てーへんカケルたかさワルに」に
近い所をやっています。もうすぐ出てきます。

しかし、この公式を使わずに「こんな図形あるかい!」ってな
形の面積を求めなさいって問題が出るんですよ。

三角形を二つ合わせたら長方形になるよね~
気づける~?それで求めて~って問題が…
折り紙を半分に折って三角形にし、ハサミで切って
「てーへんカケルたかさワルに」の説明をし…

今は長方形の面積求めるばっかりですが…
私算数嫌いなんで…ダンナに丸投げっ!

_ 儚い預言者 ― 2009/11/04 20:39

 存在とは確率である。これが物理学の最前線(???)。
 靄という存在です。何一つ決定できないのが存在の真実。
 不思議な事に「意識」が存在を決定するのです。
 それは焦点を当てるところに存在が有るという摩訶不思議なこと。
 なるほど客観的世界があるところに主観的認識があるのですが、この認識が世界を決定している訳です。

 因果と光速不変の法則も、恣意なる夢なのかもしれません。

 パラダイムが変化するとき、認識や知覚は変化しないと言えるのでしょうか。

 面白い本を読みました。
 「理性の限界」講談社現代新書 高橋昌一郎著 
 数学のゲーデルの不完全性定理を研究している学者なのですが、ディスカッション風に数学に留まらない「理性」に焦点を当てて「投票」という単純なことにも不合理があることを課題にして、興味が尽きないです。ぜひ一読を。

 時空とは一体であり、もし時間が止まれば空間は無限に発散し、空間が一点になれば、時間は永遠になるでしょう。

 「切り取る」ということをすること自体に「実」が「虚」になる、みたいなことでは無いかと思います。

_ いづみ ― 2009/11/04 22:03

>さややん
教科書って、そんな面倒なものだったのね…(^-^; すっかり忘れてますが、確かにそういう回りくどいところがあったような気もする。公式を覚えて当てはめるよりずっと説明が難しいじゃないか(ρ_;)なんかいい「発見」の方法ってないものですかねぇ。子どもにとっても、算数から離れてウン十年みたいな親にとっても、おもわず納得しちゃうような。

>預言者さま
そうでした!時間・空間を越えた存在といえば預言者様でした(!?)、その時空一体論は、まさに相対性のエッセンスであります。

もし認識が世界を決定するならば、その認識自体を取り替えて遊んでしまおう♪というような、不埒なエセ学究の徒なんですが(笑)しかし、その認識自体が世界を(ほんの少し)変えている可能性もありますね…。うーん、謎が謎を呼ぶ。

エルの疑問はいちいち素朴で、それゆえに見過ごせない何かがあるんですね。楽しいですけど。

古典的経済学では、人間は合理的な存在だと扱われてきたのに、それが今や、人間は不合理のカタマリ。数学方面からも同じような流れがあるとは驚きです。こうやって少しずつ、元苦手をへっちゃらさ!と思って過ごしていけたら、人生後半、ますます楽しくなりそうです。

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