生活と、リアリティー。2009/09/04 12:20

お休みの間にこんなことも考えていました。

ブログの方向性、と書くとアウトプットに焦点がありますが、実はその発生システムのほうに興味がありまして。

自分の中で、「書く」ということを(当面はネットで走り書きレベルですが(^-^;)、どういう位置づけにしたいのか?

そこで、思い当たったのが、リアリティーということ。
リアリティーは、リアルとはちがう。
事実と真実は違うように。

自分(の属する種類)の生活、というものを、リアリティーを持った文字にする。

ノンフィクションでもなく。
ルポルタージュでもなく。
一般化でもなく。
正当化でもなく。(ってだんだん話が小さくなってきたな(^-^;)

今ここでこうやって生きている、という力を文字に落とし込む。
…と書くととてもカッコイイ(笑)

書き終わったものの処遇ばかりに目を奪われていて、これから書きたいと思うこと、をちょっと忘れていました。→反省。

ようやく、それに気づいたので、メモしてみました。→即対応。即時ならば低レベルでも可。

   *

さて、自分はどういう種類の生活をしているのか?

専業主婦・子ども二人・義両親と同居・
まずはそのへんが思い浮かびます。

その他に、経歴や性格などもあるんだろうけど。
まぁそのへんはテキトーにおいといて。

人間はえてして、他人にとってフツーであるところの日常に対する想像力というものが、予想よりも脆弱であります。もちろん私も含めて。だって自分の日常だけで精一杯だもの。誰だって。
だから、そのへんをうまーく切り取って、誰かに伝えられたら(そして、あわよくば交換できたら)、それはとても愉しい作業ではないかと思うのです。交流は、人生を深め、生活を潤す。

リアルを一緒に生きるのも楽しいけれど、また、上手に要約された違った種類の生活に触れるというのも、ワクワクするものです。

まぁ、そんなこともね。ぼちぼちと。
千里の道も、一歩から。

コメント

_ ヴァッキーノ ― 2009/09/04 16:43

日常を面白く書くってなかなか難しいもんですよね。
でも、ブログを書いてる人って、よく毎日毎日面白いことに
遭遇するもんだなあって思ってたら、
ケッコー普通のことに面白いツッコミをいれてるだけだったりするんですよね。

おならひとつしたって、ブログのネタになるっていえばなるんです。
自分のおならの音の分析とか(笑)
リアルなのか、リアリティーなのか、もしかしたら
シュールリアリズムなのか?
シュールリアいづみ・・・・・かも。

_ なぐね。 ― 2009/09/05 00:26

長谷川四郎だったかな。

人生とはただ単に生きてあること。すみずみにまで全的に生きていることが大事なのであって、幸せとか不幸とか苦しみとか、ヨロコビというのは、それらの構成分子の1つにすぎない(だったと思う。。。。。)

そんな感じに、全てのことを突き放して見ることができると面白いけどね。いづみさんも文学(それも純の方!)の、一歩を踏み出したんですね。

楽しみにしてますよ。

_ 儚い預言者 ― 2009/09/05 03:33

 客視或いは象徴としての現実を見る、それは言葉の本来の意味での表現かもしれない。でも対応が一対一であることが難しいのが、言葉の良からぬ或いは奇跡を呼ぶ、神の遊びであるかもしれない。
 リアリティーの最高は実質だろうか、そしてその最低は幻想だろうか。要するにただ単に尺度の問題だろうか。
 真実と事実と幻想の、三つ揃って初めてリアリティーを齎すのであろう。
 しかし日常においても、真実においても、事実という意見のなんと多い事か。私は緑に見えても、あなたには赤に見えることがあるという事実?はいかにも幻想的であるという意味ではリアリティーの余りに儚さと永遠を考慮しなければいけないのだろう。

_ いづみ ― 2009/09/05 14:55

>ヴァッキーノさん
物の見方こそがその人なれば、ヴァッキーノさんの観察には大いにうなずけます。

おなら、じゃないですけど、デュシャンの「泉」(いづみだわね)が既製品のまんまだったのに対して、次世代は、既製品+人間の手が加わった感じをもって芸術と呼んだそうであります。詳しいことは忘れちゃったけど。その、人の手が加わった感じ、というのが、生活リアリズムのキモなのかもしれないですね。

>なぐね。さん
その言葉は、あらゆる状況下にある人間にとって、究極の真実でありましょう。これを聞いて、勇気が出るか、不安になるかで、その人となりがわかるかもしれない…なーんてね(^-^;

まだまだ見栄も欲もたっぷりで煩悩だらけなんですが、時々思い出すことが大事かな、と思っています。

>預言者さま
言葉にすること自体が、すでに、客観視の第一歩なのですね。確かに。一度言葉につかまえてしまったものは、読者に蘇生してもらう以外には、生きていく方法はない。けれど、いつでもどんなときでも生き返ることができる。

> 三つ揃って初めてリアリティー

というのは、なぐね。さん紹介の構成分子説と通じるものがありますね。(身に余る)高い志を立てた直後ではありますが、まずは肩の力を抜いて、遠くまでまっすぐに見据えようと、楽しくなってきました♪

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